第三百十一夜 笹目翠風の「螢」の句

 笹目翠風さんが、平成7年から平成30年まで主宰をしていた「礦(あらがね)」誌上で、私は、虚子研究の原稿を長く書かせていただいていた。
 翠風さんの師である清崎敏郎(きよさき・としお)と私の師の深見けん二は、昭和29年より虚子庵において3ヶ月に一度、虚子、立子も出席して行われた「研究座談会」に出席し、ともに「客観写生」「花鳥諷詠」を面授された。「研究座談会」のメンバーは、上野泰、清崎敏郎、湯浅桃邑、藤松遊子、深見けん二であった。
 そうしたことから、翠風さんは、深見けん二先生の「花鳥来」の会員である私に、原稿を書く機会を下さったのだと思っている。
 俳誌「鑛(あらがね)」では、「虚子をめぐる俳人」31回、「虚子と散文」15回、「『五百五十句』を読む」19回を連載させて頂いた。
 
 今宵は、笹目翠風さんの第2句集『葭切(よしきり)』から作品を紹介してみよう。

  螢飛ぶ雨後の眞闇の匂ひけり

 私が「花鳥来」で編集委員の一人であった頃に、夏号の編集後記に「螢狩に行きたい」と書いたことがあった、後からお聞ききしたことだが、それを読んだ翠風さんが、ご自宅のある霞ヶ浦沿いの小美玉市高崎へ「花鳥来」の吟行にいらっしゃいませんかと、深見先生に仰ってくださったという。翌年の6月の第3土曜日の吟行会は「蛍狩」となった。
 もちろん、私は大喜び、夫は飛び入りであるが参加した。その時に、私が詠んだのは〈良寛の鞠蹴り上げし夏の月〉であったのは、螢は一匹しか見かけなかったからであったが、霞ヶ浦の上に夏の月が煌々としていた。
 
 掲句は、雨後の湿り気のある真闇。そうだった。螢が飛ぶのは、満月の明るい晩ではなく、このような「雨後の眞闇」の中に飛び交うと聞いたことがある。螢が発光するのはオスとメスが出合うためのシグナルだと言われていて、そのとき、独特な匂いも発しているのだという。
 雨後の眞闇という、螢の恋の現場に行き合わせて、生まれた作品である。自然をよく見ていると、授かるようにハッとするようか景に出合うことがある。
 見事な「客観写生」であり「花鳥諷詠詩」である。

 もう一句、紹介させていただこう。

  那珂川の枝川にして鮎の川

 「那珂川」「枝川」「鮎の川」と川の入った言葉を3つ連ねて作品となった。栃木県黒羽市の友人の家に行った折に、散歩がてらに近くの那珂川で「梁(やな)」を見たことがある。
 梁漁とは、川の中に足場を組み、木や竹ですのこ状の台を作った梁という構造物を設置し、上流から泳いできた魚がかかるのを待つ漁法である。うまく逃げられない仕掛けになっていた。那珂川は栃木県北部の那須から南へと流れ、支流がいくつもある。
 水が澄んでいるから、鮎の釣れる川である。
 
 掲句は、3つの「川」の入った言葉がそのままに句意となっているが、過不足なく十分に伝わってくる、俳句の平明さ、調べのよさ、仕上がりのよさがある。

 笹目翠風(ささめ・すいふう)は、昭和20年、茨城県小美玉市生まれ。昭和37年、富安風生主宰「若葉」で初入選。昭和53年、「若葉」創刊50周年に際し、第16回艸魚賞受賞、若葉同人。平成7年、俳誌「鋼」を創刊主宰。句集『浮寝鳥』『葭切』、合同句集『青胡桃』1、2集。