第三百十二夜 高浜虚子の「銀河」の句

 昭和24年、高浜虚子は疎開先の小諸から自宅の鎌倉へ戻ってきた2年後に詠んだ、「銀河」の一連の作品がある。詩情に惹かれつつ、句意をはっきり掴むことはできなかった。
 夜空を仰ぐことは大好きだが、月の大きさと夜空での月の位置を覚えるまでに年月を要した。況んや、星座や天の川は、想像を超えて広くて深い。
 宇宙のことが好きな夫や娘からも、「本ぐらい読めよ。」とか「小学校の理科の時間に聞いていなかったでしょ。教わったわよ。」と言われる。だが30年の俳句の月日は有り難いもので、まだ星座も宇宙も茫洋としているが、いつの間にか身に入ってきている。

 今宵は、「人間の生滅も、花の開落も同じく宇宙の現象としてこれを眺めつつある。」と考える、虚子の作品を見てゆこう。

  虚子一人銀河と共に西へゆく 『六百五十句』

 前書に「7月23日 夜12時、蚊帳を出て雨戸を開け、銀河の空に対す」とある。終戦後間もなくの昭和24年は、電灯のある家もない家もあった時代で、夜は暗く寝静まっていた。雨戸を開けたときの真闇、上空には溢れんばかりの星々だ。虚子は、小諸に疎開していた時には大きな天の川を身近に感じていたのだろう。
 
 掲句の、「銀河と共に西へゆく」の句意はこうであろう。北半球の地球が左回りに自転をしていることから、銀河は、反対方向の西へ流れるように見える。庭に立って銀河を眺めていた虚子は、自分も西へ流れていると感じたのだ。
 だが、上五の「虚子一人」はどういうことか、理解できなかった。
 
 昭和24年の「句日記」を読み返した。当日の句は、11句あって、銀河の句は10句である。いくつか書き出してみる。
 
 1・銀河中天老の力をそれに得つ
 3・銀河西へ人は東へ流れ星 
 4・虚子一人銀河と共に西へゆく
 5・西方の浄土は銀河落るところ
 6・昼は机に向ひ夜は銀河に対す
 8・我が思ひ殊に銀河は明らかに
 9・なつかしの戸閉める隣月更けて
 
 1の句、真上に銀河を置いて、75歳の虚子は銀河から力をもらっていると感じた。3の句、銀河は西へ西へと流れ、一方、人間は東へ向かっていることは地球の自転の理(ことわり)である。
 4の句が掲句である。人間は東へ流れることは地球が自転していることの証であるが、「虚子一人」は銀河と一緒に西へ流れてゆくのだという。
 
 それは何故かと言うと、5の句、西方にあるという浄土とは、悟りを開いた仏が住む清浄な場所のことで、阿弥陀様の極楽浄土があるところ。そこは、銀河の落ちるところであるという。
 6の句によって、虚子は昼は仕事に没頭し、夜は銀河と対峙して極楽浄土を思っていることがわかる。
 8の句によって、虚子がいつの日か自分も極楽浄土へ行くという、死への念慮が、銀河の下に佇んでいるといよいよ明確になってくる。
 9の句で、隣家の戸を閉める音が聞こえ、月の位置も更けるにつれて煌々としてきた。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 虚子は、ご近所の日常である戸を閉める物音と月の光によって、我に帰った。

  わが終り銀河の中に身を投げん 『六百五十句』

 そして、昭和24年10月20日、この句を詠んだ。人間はいつかは死ぬ。その時が来たら、銀河の中に身を投げよう。