第三百十四夜 山口青邨の「律の調べ(りちのしらべ)」の句

 朝晩の犬の散歩では、ようやく、秋風を感じる日々となってきた。明日は秋分の日。太陽が黄経180度の秋分点を通過する日で、この日までは昼が長く、夜が短いのであるが、秋分の日に昼夜が等分となり、それからは徐々に夜の方が長くなる。
 秋風も、少しずつ爽やかになり寒さを増してくるようになる。
 
 季題「秋風」を調べていると、傍題として「素風」「金風」「鳩吹く風」などがある。また、紀友則が「秋風を色なきものと思う」と言ったことから「色なき風」の季題が生まれている。
 『カラー図説 日本大歳時記』に、「律の調べ」という秋風を表す季題を見つけた。例句はなかったが、山口青邨の『山口青邨季題別全句集』に、2句収められていた。
 
 今宵は、山口青邨の季題「律の調べ」の作品を鑑賞してみよう。

  わが庭の律の調べのふる雨も 『繚乱』
 (わがにわの りちのしらべの ふるあめも)
  
 律(りち)は呂(りょ)とともに琴などの調子をいい、日本では、秋らしい趣きのことを指し、 そこから、傍題の「律の風」は秋らしい感じの風を指すようになったという。
 
 掲句の「律の調べ」は、秋らしい音である。青邨が精魂込めて作り上げた「雑草園」と呼ぶ菜園と庭園に降る雨の音を聴きながら、青邨は、秋らしい調べであると感じた。
 菜園は、豊穣の時、庭園には菊の花も盛りである。

 第11句集『繚乱』は、青邨が78歳から82歳という年代に詠まれ他作品が収められ、青邨の満88歳の自祝の句集である。古人が、「もののあわれは秋こそまされ」と言ったように、秋の感じ方は、悲哀と清爽感であろう。
 青邨は、人生において既に様々なことを成し遂げた。満足感と同時に何かしら寂しさもある。それは悲しさでもあるが、清涼感でもあるのだと思う。
 そうした青邨の心持ちを音に喩えてみれば「律の調べ」であったかもしれない。
 
 もう一句、見てみよう。
  
  糸車律の調べのいまむかし 『日は永し』

 青邨の自宅(三艸書屋と雑草園)は、平成5年、東京杉並から、盛岡県にある詩歌文学館に隣接した詩歌の森公園に移築されている。青邨没後、「夏草」から新しく出発した結社の人たちが集まって、深見けん二主宰の「花鳥来」のメンバーである私も、盛岡の「雑草園山口青邨宅」を訪れたことがあった。
 室内にも上がった。籐椅子があり、本棚があり、額が掛かっていた。杉並の家には、もしかしたら奥様の糸車もあったのではないだろうか。
 掲句は、青邨没後に編まれた第13句集『日は永し』にある作品。家の中の糸車の立てる幽き音は、喩えてみれば、今も昔も変わらない「律の調べ」のようだと青邨は思った。
 
 「律の調べ」には、傍題として「律の風」がある。筆者の私も一句詠んでみた。
 
  律の風万葉歌碑のありどころ  あらきみほ
  
 筑波山麓に「万葉歌碑の道」がある。しばらく前になるが、仲間と歩いたことがあった。かつて「歌垣」の行われた筑波山である。いま、歌碑となって散策路にぽつんぽつんと建っている。そのとき吹いていた秋風を、「律の風」の季題で詠んでみたら、その場の雰囲気が出るように思った。
 秋風の吹くなかに万葉歌碑が建っていましたよ、というほどの句意である。