第三百十五夜 高野素十の「鬼灯(ほおずき)」の句

 大学の英文科1年生の科目の1つに英語音声学があって、教えてくれたのは老教授であった。母音や子音の発声を、実際に音を出す口の形で教えてくれた。[u]を発音するときは口を窄めて突き出す形になるから、19歳の女生徒たちは皆、老教師の口元を見ては無情にも笑い崩れた。
 その老教授は、本題に入る前にお話をしてくれた。今も覚えているのは、ある日の、少年と少女のお話だ。
 
 少年は少女に言った。「ねえ、君にキッスしてもいいかい。」
 少女は答えた。「そうねえ。」「いいわ。リンゴが真っ赤になったら、キッスさせてあげるわ。」
 少年は困った。夏のリンゴはどれも青々としていたから。
 だが、数日後「ほら、真っ赤なリンゴだよ。」と、少年は少女の手を引いてリンゴの木の下に連れていった。
 リンゴの木の枝には、真っ赤なリンゴを描いた絵が1枚ぶら下がっていたのだ・・。老教授のお話はここまで。
 
 今宵は、林檎ではなく鬼灯の俳句を紹介してみよう。

  少年に鬼灯くるる少女かな  高野素十『初鴉』

 島崎藤村の「初恋」の一節を思い出させるような一句(やさしく白き手をのべて/林檎をわれにあたへしは/薄紅の秋の実に/人こひ初めしはじめなり)。まさに初々しい初恋めいた少女の思い。
 
 と、高野素十の弟子の倉田紘文著『高野素十「初鴉」全講釈』では、このように評考している。素十は遠い昔の初恋を思い出して詠んだのであろうか。
 おそらく小学生くらい。女の子の方が男の子よりちょっとませている。女の子から、「はい、あげるわ。」と、赤く熟れた鬼灯をいきなり目の前に差し出されたら、男の子はどきどきする。女の子は、鬼灯を鳴らしていたのだろう、だから、あなたも鳴らしてみない、と差し出したのかもしれない。
 このような小さな出来事から初恋になったりする。
 
  鬼灯に衣着せたる涙かな  高浜虚子『贈答句集』
 (ほおずきに ころもきせたる なみだかな)

 この作品は、初恋とは関係はない。前書に「幼児を失ひける人に。」とある。虚子は、手紙や葉書などの端に、まめに贈答句を書いて送っていたという。人に出した郵便物なので、虚子の詠んだすべてではない。後に、贈答句集を纏めようという時に、大事に取っておいた人から俳句が提供されたそうである。
 
 亡くなった子は、元気な頃に鬼灯で人形遊びをしていたのだろう。鬼灯人形は、外の皮を剥いた中の実が人形の頭となり、その皮を縛ると人形に着せた着物となる。お母さんは、幼子が淋しくないようにと、鬼灯人形を作って傍らに置いた。
 お母さんはきっと鬼灯人形を作りながら涙を流したのだろう、と、虚子は贈答句を詠んだ。