第三百十七日 沢渡 梢の「月」の句

 2年前のこと。詩人の父・沢渡恒(さわたり・ひさし)さんと詩人の母・坂窗江(さか・まどえ)さんを両親に持つ沢渡梢さんから、私は、300通のラブレターの束と、両親の詩集と、若くして亡くなられた父・沢渡恒の戦後の小説を見せていただいた。

 作品集『夢のはて』の序文は、小説家の石川淳によって書かれてをり、そこには、「若い沢渡恒君のいのちは絶望の強さをもつて、つねに死を踏まへながらに、なほ美しく生きつづけてゐたのだろう。」「このひとが死を見つめつつ求めてゐた生活の意味は、小説といふ仕事にあつた。」とある。

 この序文が通奏低音となって、梢さんは、一遍の小説「純平の純情」の原稿を仕上げた。
 書籍にしたいので編集者の目で見てほしいと、この日、私は梢さんから頼まれた。
 
 大きなテーブルの上で、古い革のトランクを開けて見せてくれた。そこには、父から母への手紙の束が赤いリボンで括られていた。両親の思い出を、このように丁寧に美しく束ねていたのかと、そのことに感動した。
 
 編集作業が一段落した頃、第1句集『たひらかに』が送られてきた。

 序文は、梢さんが毎週の吟行句会の中で、俳句を1から教わったという、大木あまり氏の大きな視点からの丁寧な鑑賞で綴られている。
 帯文は、長年の家族ぐるみの交友という高橋睦郎氏。
 「たひらかに、と頰笑みながら、花よりもさらにみづみづしい若芽のちからで、私たちを驚かしてやまない俳句たち、行くところ、いのちの息吹きもたらす梢さんは、現代の季節の女神なのですね。」

 プロフィールにあるように、詩人の両親の下、一流の俳人、詩人、芸術家たちとの交流で生まれたのが、沢渡梢の俳句である。
 今宵は、平成19年刊行の『たひらかに』の世界を紹介させていただこう。

  ゆふらりと月綻んで水鏡
 (ゆうらりと つきほころんで みずかがみ)

 たとえば沼、満月が山の端から覗いたが、まだ沼の水面には映っていない。水に影を落とすのは月がかなり上ってからで、さざなみにゆうらり月の姿が鏡のように映し出され、やがて、月影は水面をぐんぐん伸びるように走る。
 中七の「月綻んで」の、「ほころぶ」の語のなんとやさしげであろうか。それは作者の梢さんの自然に対する眼差しを映しているようである。

  鶯や嘘啼きをしてカタルシス

 「嘘啼き」が面白い。動物と人間とは違うから「嘘」はないと思われるが、啼き方の拍子がどこかで外れたのだろう、「嘘啼き」と捉えた。相手に口喧嘩では勝てそうにないとき、心の底を覗かれたくないとき、女の武器の1つとして、嘘泣きをしてみたいことがある。
 この時、自分の心のもやもやしたものにケリをつけたかったのは、作者自身であろう。

  少女には少女の刹那木の実落つ

 上五中七の「少女には少女の刹那」の調べが素敵だと思う。
 私は、妻であり、母親であり、ときには俳人であり、75歳の後期高齢者だけど、その1つに縛られるのはイヤだ。
 この少女も、娘であり、女学生であり、バレリーナの卵かもしれない。だれだって、1つの枠に嵌められたくはない。
 「刹那」というのは、極めて短い瞬間や時間をいうが、少女は、木の実が落ちる音を聞いた。その刹那の少女は、誰かの娘でも女学生でもバレリーナの卵でもなかった。1人の少女であった。
 少女の敏感な耳が、木の実の落ちる小さな音を聴きとめた。

 沢渡梢(さわたり・こずえ)は、昭和20年(1945)生まれ。父は詩人の沢渡恒(さわたり・ひさし)。母は詩人の坂窗江(さか・まどえ)。兄は写真家の沢渡朔(さわたり・はじめ)。
 平成4年、友人たちと「季記の会」を結成し年4回の句会が始まる。平成14年、大木あまりに師事し、4つの会を作り毎週吟行。現在は、詩人であり俳人である高橋睦郎、「知音」俳句会代表の西村和子、ファーブル『昆虫記』を完訳した奥本大三郎など超結社の「スカラベ会」を年4回、さらに令和元年より、「艸」の会では毎月の参加。句集は、『たひらかに』と『白い靴』。