第十四夜 平畑静塔の「かなぶん=金亀子」の句

  死にて生きてかなぶんぶんが高く去る  平畑静塔
 
 季題は「かなぶん=金亀子(こがねむし)」で夏。
 句意は次のようであろうか。
「夏の夜、うなりながら灯に飛んできて、ポタッと落ちて、死んだまねをするかなぶん。あらあらと思って外に放り投げるとかなぶんは勢いよく高く飛んでいきましたよ。」

 ぶんぶんと音を立てて飛び込んでくるから「ぶんぶん」または「かなぶん」と呼ばれる。「かなぶんぶん」とは「かなぶん」の幼児語か語呂合わせの呼び方であろう。
 終戦直後に生まれた私の小さい頃は網戸がどこの家にも取り付けられていたわけではなかったので、真夏の暑い夜などは窓を開けっぱなしにしていると、かなぶんは凄い勢いで飛んできて、電球にぶつかっては落ちたものである。床に落ちてひっくり返ったかなぶんは自ら起きることはできない。死んでしまったかのようにピクリとも動かない。私は触れなかったが、父がいる時は父が、父の帰りが遅い時は母がつまみ上げては窓の外に放り出した。すると、窓の下に落ちるのではなく、死んだと思っていたかなぶんは、手を放れるや、高々と飛んで闇に消えていくではないか。
 高浜虚子の〈金亀子(こがねむし)擲(なげう)つ闇の深さかな〉の句のように。
 
 「死にて生きて」は、死にまねをするかなぶんの習性をうまく捉えた表現である。死んだと思ったから窓の外に放り投げられ(現代であったらゴミ箱行きだが)たが、人間の手から放れたかなぶんは、生き延びることができる。
 生物たちは、人間だけでなく動物も植物も自ら工夫してなんとか生き延びる叡智をそなえ持っている。
 
 平畑静塔は、一九〇五(明治三十八)年、和歌山県生まれ。京都帝大卒で医学博士、精神科医。昭和八年に「京大俳句」を創刊、編集。新興俳句運動では、西東三鬼、渡辺白泉らと無季俳句の立場。昭和十五年の新興俳句運動弾圧により、検挙される。戦後は山口誓子主宰「天狼」の創刊同人。戦後は「有季」の立場となる。
 
 評論集『俳人格』の中で静塔は、「虚子という人格は、その俳句は既に俳句の特殊性を厳然と踏まえたものであると同時に、その表現にかけた虚子という人格は、俳句そのものと云うべき完成した俳句的人格に化し去っている。」と述べている。