第三百二十夜 豊長みのる「かいつぶり」の句

 今宵は、倉田紘文編著『秀句三五〇選 水』より、作品を紹介してみよう。
 1句目の豊長みのる氏は、昭和6年神戸に生まれ、俳句は山口草堂に師事。昭和61年に「風樹」を創刊主宰。蝸牛社刊の豊長みのる編著『秀句三五〇選 音』がある。

  浮くたびに水暮れてをりかいつぶり  豊長みのる

 かいつぶり(鳰は別称)は、カイツブリ目カイツブリ科カイツブリ属に分類される鳥類の1種。全長約25cmほど。沼や池でよく見かけるが、泳いでいる姿も、辺りを歩いている姿も見たことがないような気がしていたが、どうやら足は、歩くようには適した形ではなく、移動は全て潜ってゆく。
 吟行で見かけると、どこに浮き上がってくるかと、「ここよ、きっとあそこよ」と、誰もが楽しんでいる。浮いてくるまで随分と長く待っているように感じていたが、15秒ほどだそうである。
 句意は、「かいつぶりが浮くたびに、夕の色が濃くなったようだ。」となる。
 
 倉田紘文さんの鑑賞がすばらしいので、引用させていただく。
 「これほどまでに時の流れの切なさを詠い得た句はすくないであろう。かいつぶりの哀しみはそのまま作者のものである。浮いては潜り、潜っては浮くかいつぶりの性(さが)。その「浮くたびに水暮れてをり」は生きとし生けるもの寂寥の証言。
 湖北の余呉湖での憂愁。」

 2句目の穴井梨影女(あない・りえじょ)さんは、稲田眸子主宰の「少年」の同人で九州在住の方。
 ネットで拝見した中に、〈遺されし歌我にある虚子忌かな〉の作品があるので、もう少し調べると、梨影女さんは、〈火の国の火の山裾の乙女子が泣きしと聞きぬわが心いたむ 虚子〉の歌のモデルが自分であり、その歌が遺されていることを知ったという。
 梨影女さんの若き日、「ホトトギス」主宰の高浜虚子先生が熊本の阿蘇に訪れるという約束が叶わなかったことがあった。きっと、阿蘇の同人が、梨影女さんがとても残念がっていたことを虚子先生にお伝えしたのであろう。その時のことを歌にして、阿蘇の仲間へ贈ったのだ。
 梨影女さんの一生の宝物、一生の思い出となった歌のことを、季題「虚子忌」として句に認めていた。

 素敵なエピソードを持つ梨影女さんの「水」の句を紹介しよう。

  数珠玉の末枯れ水のひとりごと  穴井梨影女
 (じゆずだまのうらがれ みづのひとりごと)

 「数珠玉」も「末枯(うらがれ)」もともに秋の季題であるが、ここでは、「数珠玉の末枯れ」なので、季題「末枯」として考えよう。
 数珠玉のその珠が、だんだん太ってゆくにつれて数珠玉の葉は枯れ色が濃くなってゆき、風にかさこそ鳴るようになる。一方、数珠玉は苞(ほう)の中で珠の1粒1粒は輝きを増してくる。秋は、深まってきているのだ。
 この句は、「数珠玉の末枯れ」と「水のひとりごと」の二句一章の句である。さて、下の句の「水のひとりごと」はどのように考えよう。

 句意はこうであろうか。
 数珠玉は、日に日に枯れてゆく葉の中で、いよいよ珠は輝きだし美しくなってゆく。数珠玉のほとりをゆく川の水は秋の深まるにつれていよいよ澄んで流れる音も澄んでいる。この音が「水のひとりごと」のように聞こえるのである。

 2つの事柄は全く関係がないように見えるが、2つを並列にしてみると、なんとも深々とした秋の真っ只中に居ることがわかる。