第三百二十一夜 飯田蛇笏の「秋のほたる」の句

 今宵は、飯田蛇笏と芥川龍之介の俳句を通しての交友を見てゆこう。

  たましひのたとへば秋のほたるかな 『山廬集』

 この作品は、前書に「芥川龍之介氏の長逝を深悼す」とある。俳句に始まり、文通を交わしていた友が、自害したという突然の訃報は、新聞の記事、あるいは新聞社からの電話で飛び込んだのであろう。
 
 季題「秋の螢」は、「残る螢」「病螢」ともいい、秋風が吹く頃の蛍である。弱々しく放つ光や季節を外れた侘しさが季題の本意。源氏蛍より遅い時期に飛ぶ平家螢であることが多く、8月の終わりや9月半ばまで、川の辺りや草むらに光を放っていることがある。
 思いがけない秋の螢の弱々しい光に出合うと人恋しさ、哀れさが強く心にのこる。
 
 訃報を聞いた蛇笏は、開け放った縁側に佇つと、すっかり秋めいてきた庭の草むらで「ほわん、ほわん」と光るものを見た。「ああ、龍之介の魂が秋の螢となって、お別れにきたのだろうか。」と、ふっと感じた。

 正岡子規の没後、「ホトトギス」の運営を河東碧梧桐に任せて、小説家の道を進もうと思っていた高浜虚子であったが、再び俳句へ戻り、大正2年、「ホトトギス」で雑詠選を始めた。その頃の雑詠選で活躍したのが、渡辺水巴、原石鼎、前田普羅、飯田蛇笏、村上鬼城たち「ホトトギス」の第一次黄金期の作家であった。
「ホトトギス」大正4年5月号の巻頭作品は蛇笏で、その1つが次の作品である。
 芥川龍之介は、俳号「我鬼」の名で「ホトトギス」に投句をしていたが、この蛇笏の句にいたく感動したという。
 
 その蛇笏の作品を見てみよう。

  死病得て爪美しき火桶かな  『山廬集』

 「死病」というのは、当時、死の病であった「結核」であろう。治療薬が生まれるのは、まだ30年先のことであった。隔離されて家で寝ているか、長期の病院生活での静養である。
 作中人物はうら若い女性。冬でも昼間は起きて、火桶(=火鉢)に当たっている。水仕事もしない病人の細い手は、しなやかで白く、火に翳した手は温められて、爪までうっすら赤味を増して美しい。
 
 この作品に触発されて、龍之介は〈労咳の頬美しや冬帽子〉の句を詠んだという。
 「進むべき俳句の道」に「ホトトギス」雑詠選の巻頭作家から試みた各人評で、虚子は、蛇笏の特長を「小説的である」と言った。小説家芥川龍之介は俳人芥川龍之介でもある。小説的な蛇笏のこの作品が、龍之介の俳句心を突ついたことも不思議である。