第十六夜 上野泰の「風邪」の句

  風邪の子の電気暗いの明るいの  上野 泰
 
 上野泰は大正七年横浜の生まれ。家業は上野運輸商会という輸送業である。その関係であろう、大学を卒業した泰は軍隊の輸送を担う近衛輜重兵連隊に入隊。高浜虚子の六女の章子とはテニスで混合ダブルスのペアを組むなど幼なじみで、昭和十七年に結婚。泰が俳句を始めたのは、章子と結婚して満州にいるときで、そのときは見よう見まねでぽつぽつ作るといった風であった。
 昭和二十年十一月に復員して、鹿児島から虚子の疎開先の小諸に行く途中の名古屋駅で西山泊雲一周忌を兼ねての旅行中の虚子と立子一行とぱったり出会い、そのまま初めて句会へ列席したという。

 虚子の家族は子煩悩と言われるほど温かいが、泰と章子もまた温かい家族を作った。好きな句はたくさんあるが、私は、子どもを詠んだ句の独特なアングルの描写が大好きだ。三人の子は一女二男。子どもというのは、嬉しいときも悲しいときも一心である。
 
 冒頭作品の句意は次のようであろう。
 「風邪で臥せっている子の様子を見にきた母親に、子は、電気が暗いから眠れないよう、次に様子を見に行くと、明るすぎて眠れないよう、などと言う。」
 
 子どもの、母親にずっと側に居てほしいから言うわがままであり、母親も子のわがままは百も承知だが、「はいはい、この明るさでどお? 眠れそうかな?」と、おでこに手を当てて熱の様子も見ながら声をかける。やがて子は安心して寝入ってしまう。

 もう一句、三番目の男の子・泉の作品を紹介する。
 
  末の子の今の悲しみ金魚の死

 ある日、泉が大切に育ててきた金魚がある日動かなくなった。死んだのだ。初めての大切なものの死だ。泉は、とても悲しんで泣いて金魚のお墓を作って埋めた。「今の悲しみ」が子ども心を上手く表現した。一旦納得するまで悲しむと、心はすっと次に向かうことができるのが子どもである。
「金魚」の小ささと赤い色が、子が受けとめられる悲しみの分量として、ある健やかさを感じる句である。

 泰の第一句集『佐介』の虚子の序は、作家の特徴と作家の進むべき道を過不足なく看破していることに驚き、次のように書いている。
 「新感覚派。泰の句を斯う呼んだらどんなものであらう。
  泰の句に接すると世の中の角度が変つて現はれて来る。
  世の中を一ゆりゆすつて見直したやうな感じである。
  泰の眼に世の中が斯く映り、泰によつて世の中が斯く表現されるのである。
  此頃の特異な作家としては西に朱鳥あり、東に泰がある。」