第三百三十二夜  赤城さかえの「霧の夜」の句

 赤城さかえ、という名前なので、男性だと知ったのはかなり後のことであった。
 私の父もまた戦前からの共産党員であり、俳句もしていて新俳句人連盟にも所属していたので、いつからか俳人赤城さかえを知るようになったが、こうして作品の鑑賞をするのは初めてであるが、なぜだか懐かしさを感じている。
 
 今宵は、赤城さかえの作品を考えてみよう。
 
  霧の夜のさよなら彼に闘志もどれ 『赤城さかえ全集』 
  
 共産党員として共に活動し、共に抗議デモに参加した友との別れである。この夜、活動を共にした後の帰途の単純な「さよなら」なのか、それとも、様子から共産党を離れようとしている「さよなら」なのであろうか。
 赤城さかえは、きっと言葉にはしなかったと思われるが、「共産党を離れるな、今までの闘志はどうした、もどれよ」と、いう気持ちをこめてその場のさよならをしたのだろう。【霧・秋】

  外は満月ひたむきな語がふと躓く 『浅蜊の唄』『赤城さかえ全集』
 (そとはまんげつ ひたむきなごが ふとつまづく)

 中七下五の「ひたむきな語がふと躓く」から、やはり共産党員同志としての熱のある会話のように思う。窓の外を見上げると、夜空には満月が輝いている。たとえば、今の政治状況は・・是非とも変えなくては駄目だ・・ソビエトや中国の共産党はこうだ・・などと言っていたにしても、あの真ん丸の穏やかな月の光を眺めていると、闘志は萎えてくるようだ。「ふと躓く」から、そのように感じた。
 【満月・秋】

  かりがねや並べば低き母の肩 『赤城さかえ全集』
  
 「かりがね」は「雁(がん)」のこと。日本には秋になると北方から渡来し、春になると北に去っていく。飛ぶときは、V字形に編隊を組んで大空をゆく姿は、季節の変わったことを知らせてくれる雁たちに声をかけたくなる光景である。
 庭で眺めていたのか、たまたま一緒に出かけていたのか、母親と並ぶと、なんだか母が小さくなったような気がしてくる。母親の方は、息子が大きくなって誇らしい気持ちになるのだけれど。【雁・秋】
  
 赤城さかえ(あかぎ・さかえ)は、明治41年(1908)-昭和42年(1967)、広島市の生まれ。東京大学中に日本共産党に入党。昭和15年、結核でサナトリウムに入院中に俳句に出合う。昭和18年、「寒雷」の加藤楸邨に師事。清瀬の国立療養所で石田波郷と同室となる。新俳句人連盟に参加、古沢太穂と「沙羅」を創刊。