第三百三十四夜 志解井 司の「波郷忌」の句

 志解井司は、本名の姓の重石を分解し、志解井「しげい」、最後の「し」を「司(つかさ)」と読ませて俳号にした。
 読書、書籍集め、原稿書き、晩酌が日常の人であった。俳句はその中の1つで、全ての俳句雑誌を毎月取り寄せて、投稿欄に何年も出していた。何しろ、入選句が凡そ1000句というから、何年掛かったのだろう。
 句会に出るようになったのは、娘である私の夫が出版社蝸牛社で俳句を多く手掛けるようになり、お世話になっていた、毎日新聞社の編集者であり「炎環」主宰の石寒太さんとの関係である。ある時、寒太さんを石神井公園にお連れした際の雑談から生まれた「石神井句会」へ、父も参加することになった。
 
 77歳を前にして、喜寿のお祝いに句集をプレゼントしようということになった。この時に作っておいてよかった。間もなく前立腺ガン、心臓病、転倒、認知症気味、など立て続けに病院のお世話になることになった。
 しかも、本人が選句を終えていないと誰も判読不可能な、新聞記者特有の記号のような丸文字だから、山のような俳句ノートを前にして困惑したかもしれない。滑り込みセーフで出来上がった句集『練馬野』である。
 序文は、石寒太主宰が、優しく見守ってご指導くださったことが伝わってくる懇切丁寧な文章である。このことによって、句集は父から家族への最上の宝物となった。
 俳句の17文字はすばらしい、当時の父にいつだって出会うことができる。
 
 今宵は、晩年を俳句を友とした志解井司の作品を『練馬野』より紹介しよう。

  波郷居の解体椿見るばかり
 (はきょうきょのかいたい つばきみるばかり)
  
 住いは、石田波郷と同じ石神井公園駅にある。書斎での仕事に飽きると、自転車に乗って石神井公園辺りを散策する。この地に越してきた時には波郷は既に亡くなっていたが、大好きな波郷居があると知ってから回り道をしては佇んだ。ある時、解体工事が始まった。その日以来毎日の散歩は解体工事を見つづけることであった。〈筆止めて黙祷石田波郷の忌〉〈抱瓶に侘助ひとつ波郷の忌〉〈初蝶や波郷居あとへ小さき坂〉と、折々に詠んでいた。
 晩年には、車に乗せて「石田波郷旧居跡」の立札を一緒に眺めた。【椿・春】
  
  苧環や四つ違ひは死ぬるまで
 (おだまきや よっつちがいは しぬるまで)
  
 寡黙な父と賑やかな母、まあ、母の趣味は父であるかと思うほど仲良し夫婦であった。大きくて太っていた父、小さくてよく動いていた母、〈病む妻の寝嵩たひらに亀鳴けり〉〈退院の妻と碁を打つ十三夜〉など、いっぱい詠んだ。
 掲句は、『蝸牛 新歳時記』に入っている。4歳違いは、生まれも没年もである。他界したのは父が79歳で母が83歳。逆にはなったが、約束通りの「四つ違ひは死ぬるまで」を全うした。【苧環・春】

  針供養わたしは鉛筆供養です
  
 仕事前には必ず2B鉛筆を6本削ることから始まった。この作品を見たのは「石神井句会」であった。話題になったことを思い出す。
 亡くなった後、書斎を片付けると、ダンボール1つに、4センチ程のちびた2Bの三菱鉛筆が詰まっていた。もう1つには、例の丸文字で書かれた俳句ノートである。今も捨てられずにいる。【針供養・春】
  
  俺の棺おれが運んで冬銀河
  
 この作品は強烈なインパクトがある。「石神井句会」での記憶はないので、俳句雑誌への投句であろうか。物静かな寡黙な父であったが、これほど活動的な一面があったのか? そう言えば、若い頃、逆立ちが好きだった。散歩で近くの高校の校庭に行くと、鉄棒で大回転をして見せてくれた。痩せてスマートな頃である。
 掲句は、死のイメージであろうか。同じ年代になった今、私も死のイメージが湧くことがあるが、お父さんの句かっこいい!
 晩年はよく転んだ。石神井公園であまりに上手に転んだのでふざけたのかと思ったことがある。〈清明の土にころびてやはらかし〉と、このような感じであろうか。その後、すっくと立ち上がった。【冬銀河・冬】

  耳打ちのごと堅香子に跼みこむ
 (みみうちのごと かたかごに かがみこむ)

 ここは、練馬区にあるカタクリの花で有名な清水谷公園。雑木林と堅香子の、落葉や日向の因果関係を教わったのはここである。下向きに咲く花を撮影したくて、カメラマンたちは寝転んでシャッターを切っていた。【堅香子・春】

  ソ連失せイワンの馬鹿のふところ手

 ソビエト連邦が崩壊したのは平成3年(1991)である。大学の露文科卒で戦前からの共産党員であった父であるが、きっと大きな時の流れを感じ、また、腕組みをしたイワンの馬鹿をみぬちに感じていたのだろう。
 「イワンの馬鹿」は、ロシアの作家トルストイの作品にも出てくるが、ロシアでしばしば登場する純朴で愚直な男の話。小学校4年の頃に絵本を買ってもらった記憶がある。【懐手・冬】

 志解井司(しげい・つかさ)は、大正6年(1917)-平成9年(1997)は、大分県直方市生まれ。本名は重石正己。東京外国語大学露文科卒。外語卒業直後にドブロリューボブの著書を弘文堂ほかで文庫本として翻訳出版。日本証券新聞社勤務を途中退社し、ハイテクノロジー関連のブックレット、諸雑誌にハイテク解説記事の執筆する。蝸牛社より『焼酎讃歌』。
 俳句は、独学で結社に所属するのは晩年の10年間。「河」「炎環」「新俳句人連盟」所属。