第三百三十六夜 篠原 然の「御会式」の句

 今日は10月13日、日蓮忌。『蝸牛 新季寄せ』の忌日一覧の中で、篠原然さんの作品に出合った。
 
  御会式の怒涛の中に立つてをり  第1句集『佐久の空』
 (おえしきの どとうのなかに たってをり)
 
 「御会式」とは、日蓮宗では、祖師日蓮の命日(弘安5年10月13日)に行う法会(ほうえ)のこと。日蓮忌、御命講、御影供(おめいく)などと呼ぶ。前日の12日は通夜で、信者は万灯をかざして太鼓をたたき、題目を唱えて参拝するという。陰暦なので季題は冬。【御会式・冬】

 この句の詠まれた当時を思い出した。平成元年に深見けん二先生の「花鳥来」が生まれ、数年後、小句会「青林檎」が生まれた。まだ60歳半ばの若き先生は熱心にご指導くださり、二次会も賑やかであった。然さんは句友である。
 日蓮忌は、毎年この忌日の頃に、雑司が谷鬼子母神御会式が盛大に行われる。「青林檎」の句会は高田馬場。御会式の通り道の池袋までは歩いても行ける。句会の後で、行ってみようということになった。
 近づくと、既にもの凄い人混みだ。忽ち仲間たちとはぐれてしまった。白い和紙の花を一面に付けた、高さ3~4メートルの万灯を掲げて、団扇太鼓を叩きながらの行列は華やかで、池袋西武デパートの前を通り、明治通り、目白通りをぬけ、鬼子母神まで練り歩く。
 鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗の寺院に祀られるという。
 
 現在「御会式」は、日蓮宗の祭りであることを超え、どうやら池袋の祭りとして盛大に行われているらしい。
 然さんは、東京の有数の繁華街の池袋で出合った御会式の賑やかさを「怒涛」と捉えた。丁度、西武デパートの巨大なショーウィンドウに万灯の明かりが煌々と映り、明治通りは行列の人声、見物人の声で、まさに怒涛のど真ん中に立っているようだったのであろう。
 
 第2句集『絆』から、いくつか紹介してみよう。
 
 1・衛星を打上げ嵯峨に日向ぼこ
 2・夕焼の浮かびて闇の地平線
 3・夕涼みグラスの中に摩天楼
 
 人工衛星の部品に携わる仕事柄、海外出張が多い。夢中になって仕事をし、終えた時に俳句に向かう開放感は大きいのであろう。
 1句目、人工衛星「いぶき」には初期にプロジェクトチームの一員として加わったことから種子島の打上げを見届けに駆けつけた。翌朝には京都嵯峨での吟行句会に参加したという。【日向ぼこ・冬】
 2句目、アメリカでの1日の仕事を終えての、マンハッタンの高層ビルからの景であろう。海ではなく、アメリカの広大な地平線上にふんわりと浮かんでいる夕焼である。【夕焼・夏】
 3句目、仕事を終えた一杯、そのグラスにはニューヨークの摩天楼が揺らめいている。【夕涼み・夏】
 
 「自然の中で日常とは別次元の時間の流れに身をゆだねられることが、精神的にも肉体的にも活力を与えてくれるような気がして作句してきた。」と、然さんは「あとがき」で述べている。
 
 4・お互ひに落葉を寄せて掃き終り
 5・かたつむり傘の子供に囲まれて
 
 4句目、確かにこのように落葉掃きは終わるが、それだけではない何かを感じさせてくれる。かつて観た、中国の映画で恋人同志が落葉掃きをしているシーンを思い出す。幸せそうに長箒で掃きながら二人は近づいた。【落葉・冬】
 5句目、雨が好きなかたつむり。かたつむりを好きな子たちは傘を差して近づく。【かたつむり・夏】
 
 然さんには、人としての自然な優しさと、景を掴みとる鋭いユニークな視点があると思う。

 篠原然(しのはら・しか)は、昭和30年(1955)、長野県佐久生まれ。平成元年、「F氏の会」(現「花鳥来」)に入会し、深見けん二に師事。「屋根」に入会し、斎藤夏風に師事。平成20年、「青林檎」入会。平成29年、「屋根」終刊に伴い、後続結社「秀」入会し、染谷秀雄に師事。俳人協会会員。第1句集『佐久の空』と第2句集『絆』。