皆吉司さんは、ホトトギスの俳人であり俳誌「雪解」の主宰であった皆吉爽雨の孫である。蝸牛社のシリーズでは、第23巻『秀句三五〇選 笑』の編著者として参加してくださった。
俳句の「笑い」を、次のような独特な表現で捉えている。
「一方で、笑いとは、きわめてやっかいな、とらえどころのない、性質ももっている。同時に過激さもあり、攻撃性もあり、あるいは無邪気さもあるのである。つまりかなり落ち着きのない前衛的な要素をもっていると私にはみえるのである。」と。
今宵は、皆吉司さんの作品の多面体を紹介できればと思う。
うちつけて卵の頭蓋割る晩夏 『火事物語』
第1句集『火事物語』は、ご自宅が火事に遭い、焼け落ちてゆく様を時系列に詠み、連作として発表した句集である。火事の業火は一人の人間が慌てふためいてもしようがなく、幼い頃じつは、私も同級生の家が焼ける様を見に行ったことがあった。もう60年近い昔のことだが、家族が固まって棒立ちになっている姿が忘れられない。
俳人はある意味、どのような場に置かれても、静かに客観的に眺めることができる人のような気がしている。だから私は、「自分の家が燃えているのに・・どうして俳句なんか詠めるの?」とは思わない。
句意は、ある夏の終り、朝食に出た、丸い形をした頭蓋骨のような形の生卵を、椀の端に打ちつけて割ったところであろう。
皆吉司さんの凄さは、過激なほどの鋭い視線「卵の頭蓋骨割る」である。掲句は火事を詠んだものではなく、ある朝の膳であるが、『火事物語』集中の句というだけで、まだ作者の昂りが収まっていないことを感じてしまう。【晩夏・夏】
冬林檎つかむ爆弾の如一つ 『揺れてゐる構図』
今は10月半ば。わが家には林檎箱一杯の林檎がある。この作品を見て、林檎を取り出したとき、「爆弾の如一つ」に納得した。もしかしたら手榴弾はこのような手触りかも、と思ったのだ。
林檎をつかんで、句にしようと考えるとき、様々なモチーフを浮かべてみる。そして前人の作品がいくつか過る。モチーフが同じでは駄目だろう。次に写生を試みてみるが、いったいどれほど多くの俳句が生まれたことだろう。
想像力の限りを用いて、司さんは「爆弾」とした。だが、男の司さんがつかめば、その仕草は男っぽさを象徴し、林檎の優しさも生まれる。季語の力である。【冬林檎・冬】
待春のコップの中に夕方来る 『揺れてゐる構図』
「待春」は、春待つ心であり「冬」の季語。コップの中身は一杯の酒。ワインでもウィスキーでもビールでもよい。1日の仕事が終わり、夕方が来る。すなわち春を待つ1日が終わる夕べが来たのである。
どれだけ、人は春が待ち遠しいか。「冬は必ず春となる」という言葉があるように、巡りくる季節の変化だけでなく、もっと広く、何かが大きく変化してゆくのが「待春」である。【待春・冬】
皆吉司(みなよし・つかさ)は、昭和37年(1962)、東京都生まれ。俳人、画家。祖父は俳人の皆吉爽雨(みなよし・そうう)。昭和59年、牧羊社の処女句集シリーズの1冊として、自宅が火災によって焼け落ちていくさまとその後の状況を連作で綴った句集『火事物語』を刊行。同年、雪解新人賞を受賞。俳誌「雪解」編集人および「船団の会」会員。句集は、『火事物語』『ヴェニスの靴』『燃えてゐるチェロ』『夏の窓』『赤い絵馬』『石の翼』『揺れる家の構図』。著書は、『多感俳句論』 四季出版、『どんぐり舎の怪人-西荻俳句手帖』ふらんす堂ほか。