第三百三十八夜 泉 鏡花の「木犀」の句

 泉鏡花の俳句を『秀句三五〇選 香』の中に見つけて、私は、映画『外科室』を思い出した。
 最初の場面は、私もよく通った小石川植物園の古木の躑躅の道である。主人公の伯爵夫人がお伴を連れて歩いている、そこですれ違ったのが高峰医師。二人は瞬間に恋に落ちた。
 9年後に胸を病んだ夫人が手術することになった病院の執刀医が、あの日の高峰医師であった。言葉は一言も交わしていないのに心は通じている。
 手術中に本心を口走ることを恐れた夫人は麻酔を拒んだ。医師のメスが胸に触れた瞬間、夫人はメスに手を伸ばして自らの胸に刺した。自殺である。高峰医師もその日のうちに後を追った。二人は愛を全うしたのだ。

 この映画の監督は、歌舞伎役者の坂東玉三郎。美を追求する玉三郎が、美の極限を描いた泉鏡花の『外科室』を映画に撮った。小説以上に映画に感動することは滅多にないが、私はもう一度、今度は一人で映画館に行った。
 
 今宵は、泉鏡花の俳句もまた夢幻の世界であろうかと紹介してみたくなった。

  木犀の香に染む雨の鴉かな  『秀句三五〇選 香』『鏡花全集』
 (もくせいの かにしむあめの からすかな)
 
 「染む(しむ)」は、「しみる」と同じ。中国原産の木犀は、金色と銀色がある。とくに、枝葉に隠れるようにして小花をびっしり付け、樹下の大地をまるく美しく染めて落花しているのは金木犀だ。その高く香る芳しさは魅惑的である。
 句意は、そぼ降る雨に濃く匂う木犀の樹の下で、鴉と作者がともに雨の宿りをしているということであろうか。【木犀・秋】
 
  わが恋は人とる沼の花菖蒲

 中七の「人とる沼の」の措辞は、いよいよ泉鏡花らしさ、幻想的、怪奇的、耽美的な予感を感じさせてくれる。花菖蒲の美しさに惹かれて一つ摘もうとして近づくと、沼の中へ引きずり込まれてしまうというのだ。
 わが恋も同じで、惹かれるように近づくと、もう逃れることはできない。そのような恋をしてしまう。【花菖蒲・夏】

  鈴つけて桜の声をきく夜かな

 花の散っている音が聞こえるならば、それは桜の声であろう。人気のない夜桜の下に佇んでいると、鈴をつけているかのように、花びらが幽かな音を立てながら散っている。桜の立てる声も、そう感じて夜桜の下に佇つ泉鏡花も、風流に遊んでいる。【桜・春】

 泉鏡花(いずみ・きょうか)は、明治6年(1873)-昭和14年(1939)、金沢市生まれ。明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家。尾崎紅葉に師事。戯曲や俳句も手がけた。代表作に『外科室』『高野聖』『婦系図』『歌行燈』など、戯曲に『夜叉ヶ池』など。江戸文芸の影響を深く受けた怪奇趣味と特有のロマンティシズムがあり、幻想文学の先駆者としても評価される。