第三百三十九夜 青木月斗の「夜長」の句

 青木月斗を知ったのは、蝸牛社から滝井孝作・栗田靖編『碧梧桐全句集』を出版した時であった。高浜虚子晩年の弟子の深見けん二の下で俳句を学んでいる私が、虚子のことを学ぶようになったのはその後である。
 河東碧梧桐を調べていくうちに、碧梧桐は、青木月斗の妹の茂枝(もえ)と結婚し、なかなか子を授からない夫婦へ月斗の三女美矢子が養女となり、続いて三男の駿も養子となる。12年後には美矢子は病没するが、このように碧梧桐は月斗との深い交流があった。
 碧梧桐と同じように正岡子規の弟子であった月斗は、生涯ホトトギス派の俳人として、関西の重鎮であった。
 だが、新しい俳句の道を求めて突き進んでゆく碧梧桐を、月斗はどこか穏やかに見守っているかのようであった。
 
 今宵は、生誕140年になろうとする青木月斗の作品をみてみよう。

  くろぐろと山が囲める夜長かな  『月斗翁句抄』
  
 兵庫県相生市の磐座神社(いわくらじんじゃ)の天狗岳に近い羅漢石仏のある瓜生の里の、医院・芳賀士白邸を訪れた折に詠まれた句であろう。瓜生の里の夜更けは、くろぐろと蹲(うずくま)る山影の底になっていて、物音も絶えて静まりかえっている。秋の夜長の、満天の星は今にも降り注いできそうである。
 弟子であろうか、月斗亡き後、生前の交誼を記念して芳賀邸の士白庵に句碑を建立したという。【夜長・秋】

  山より野より水より起る秋の聲  

 宇陀の句。奈良県北東部に位置し、高原都市の宇陀市大宇陀から、山に入ると左多神社があり、句碑は、その鳥居の横に置かれているという。
 秋澄むという季語があるように、清澄な秋なればこそ秋のすべての物音に耳が聡くなる。奈良県の山に囲まれた地は、まさに「山より」「野より」「水より」という3つを並べたことによって秋の季節の音が、より複雑に、より調和を備え、より深々と心に響いてくる。
 月斗が俳句を指導する際に繰り返し述べていたことは、次のようなことであったという。
 調子。リズム。がよくなくてはいかぬ。それは、どんな調子でもよい。硬い張った調子。柔らかい細い調子。千差萬別であるが、それぞれによき調子を持ってゐねばならぬ。とくに、句の品格は高くなくてはいけない。句品とは、人格の現れである。【秋の声・秋】

  嵯峨硯磨って時雨の句を止む
 (さがすずり すってしぐれの くをとどむ)

 書道も書道の道具にも詳しくないので、調べてみると、京都市の北西部にある愛宕山地方で採れる硯の原石から「愛宕の人形硯」という嵯峨硯が作られていたというが、現在では作リ手がいないそうである。
 掲句の嵯峨硯が人形の形をしたものか判らないが、能書家である青木月斗は、丁寧に墨を磨り、時雨の句を書き、筆をゆっくり止めるように最後の文字を書いた。【時雨・冬】

 青木月斗(あおき・げっと)は、明治12年(1879)-昭和24年(1949)、大阪市船場の生まれ。俳号は最初は「月兎」であった。正岡子規に学ぶ。大阪満月会を起こし、俳誌「車百合」を創刊、ホトトギス派俳人として松瀬青々と並び大阪俳壇確立に貢献した。俳誌「同人」主宰。句集に『月斗翁句抄』。著に『子規名句評釈』等。