第三百四十四夜 多田裕計の「麦野」の句

 多田裕計(ただ・ゆうけい)は、早くに芥川賞を受賞した小説家であるが多作家ではなかった。
 師事した横光利一も小説家であり俳人で、裕計は、昭和10年頃に作られた横光利一の主宰する「十日会句会」に所属した。句会には小説家志望の石塚友二、石川達三、永井龍男、中里恒子などがいた。
 後に、裕計は俳句の主宰誌「れもん」を創刊し、浪漫主義的で、超現実主義的で、どこか明るさの感じられる俳句を目指したという。
 
 今宵は、多田裕計の作品を見てみよう。

  白い雲をパンの神とし麦野ゆく  『秀句三五〇選 色』

 「パンの神」とは、ギリシャ神話のパーンの神、牧神、牧羊神のことで、牧人や家畜の神である。日本ではパンと短く発音する。
 句意は次のようであろう。
 麦畑の畦道の上には、大きな白い雲が浮かんでいる。あの雲を「バーンの神」「パンの神」として守ってもらいながら行こうではないか。ここは日本。麦畑を襲う獣たちはいない。そう言えば、あの白い雲は、美味しそうなパンのようだ。しかも歩いているのは、パンの原料の麦畑だ。牧神バーンを食べられる「パン」であると考えながらゆくと、なんだか愉快になってくる。
 麦野は黄熟しているし、空には白い雲が浮かんでいるし、辺りは新緑で美しい季節だ。何という明るい色彩のなかであろうか。【麦野・夏】

  草萌えにショパンの雨滴打ち来る  『ショパンの雨滴』

 大地に萌え出した草に、春雨が降っている。ピアノの詩人といわれるショパンに「雨だれ」というピアノ曲があるが、かろやかでロマンチックな音色を奏でてくれる。しとしとと降る雨ではなく、勢いのある雨ではあるが、ものみなやさしさの、草萌に降る春雨である。【草萌・春】

  薔薇幾千降れよ雪降る夜の海  『俳文学大辞典』角川書店

 この作品の季語は、冬の「雪」である。超現実的な表現であるがゆえに、夜の海に降りつづく雪はいよいよ華麗になる。薔薇の花びらと化した雪片は海に触れるや否や、たちまち海水と化してしまうだろうが、読み手のわれわれの脳裏からは、簡単には消え去りはしない。【雪・冬】

  死の夢に蛍なだれてゐたりけり  『秀句三五〇選 夢』

 この作品は、裕計の辞世の句と言われている。裕計自身が夢に見た光景であると思われるが、死ぬ前に、夢で己の死を知ることができるのだろうか。蛍の一群がなだれ込むように死の床の回りで、青い光を明滅しながら乱舞してくれる、そんな夢を裕計は見たのだ。【蛍・夏】

 多田裕計(ただ・ゆうけい)は、大正元年(1912)-昭和55年(1980)、福井県福井市生まれ。小説家・俳人。早稲田大学仏文学科卒。横光利一に師事。昭和16年、「長江(ちょうこう)デルタ」により芥川賞受賞。戦後、小説執筆の傍ら石田波郷の俳誌「鶴」に参加。昭和37年、俳誌「れもん」を創刊主宰。句集『浪漫抄』、著作に『アジアの砂』『ショパンの雨滴』『芭蕉』ほか。