第三百四十五夜 原田青児の「秋薔薇」の句

 俳誌「みちのく」主宰の原田青児さんを思い出すときは、薔薇の咲くころである。たとえば、「みちのく」の会員の句集を蝸牛社から作らせて頂いたときのことだ。手紙のやり取り、完成した本をお送りしたとき、必ずのように薔薇のカードが添えられていた。また、「お使いください」と、薔薇の葉書をたくさん下さったこともあった。下田のローズメイ伊豆高原薔薇園園主だとお聞きしていた。
 一度お訪ねしたいと思っていたが、叶わなかった。
 
 今宵は、原田青児さんの薔薇の句をまず紹介しよう。

  秋薔薇の高きに白き船懸る  『薔薇園にて』 
 (あきばらの たかきにしろき ふねかかる)

 下田のローズメイ伊豆高原薔薇園は、東京湾の南東にあり、大型船からヨットまでたくさん行き来している。丈高い薔薇の間から青い海原や白い船舶がちらちら覗いて見える。それを、薔薇に船がぶら下がっているかのように「懸かっている」と捉えた。
 「高きに白き」から、立派な薔薇の木が見えてくる。【秋薔薇・秋】

  薔薇園にすれ違ふときみな若し  『俳文学大辞典』

 薔薇園の中を歩いていると、なんだか、恋の初めの頃のように心がわくわくしてくる。若い人は華やぎ、中年も老年だって、心が華やいだ季節があったことを思い出す。すれ違うとき、男性はことに薔薇園の女性たちの若々しさを感じる。
 傍らを歩いている奥方をご覧なさい、いつもと違っている筈ですよ。【薔薇・夏】
 
  薔薇の芽に夜は満天の星応ふ 『薔薇園にて』
 (ばらのめに よはまんてんの ほしこたう)

 この光景は、原田青児さんのように広大な薔薇園の園主でなければならない。園は丘になっていて、丈の高い薔薇の木でなくてはならない。しかも手入れが行き届いて、薔薇の芽の一つ一つが大きく育っていなくてはならない。
 夜の満天の星から見ると、薔薇の蕾も満天の蕾と見るかもしれない。星と薔薇の蕾はおしゃべりを交わしているかもしれない。【薔薇・夏】

  口にして母音はさびし水引草  『蝸牛 新季寄せ』
 (くちにして ぼいんはさびし みずひきそう)

 母音は、日本語は母音のみで、あ、い、う、え、お、の5音、英語では子音と母音の組み合わせでできていて、ローマ字で表すと、例えば「か行」は、か=ka、き=ki、く=ku、け=ke、こ=となる。
 作者は(i)音を発音するとさびしい感じがするという。この句も「ち=ti)、(い=i)、(し=si)、(み=mi)、(ひ=hi)、(き=ki)と、6個の母音が含まれている。
 この作品を詠むときに、母音の(i)音がこれほど含まれていることに気づいていたのだろうか。花の水引草も、細い茎に小さな粒の花がほつほつ付いていて、淋しいと言えばじつに淋しい花である。【水引草・秋】

 原田青児(はらだ・せいじ)は、大正8年(1919)-平成25年(2013)、朝鮮羅南(現北朝鮮人民共和国)生まれ。新義州公立商業学校卒。俳句の初めは高浜虚子門。昭和13年、「ホトトギス」初入選。昭和51年、遠藤梧逸を主宰に迎え『みちのく』を仙台で創刊。昭和61年、「みちのく」主宰を継承する。日本ばら会評議員、ローズメイ伊豆高原薔薇園園主。句風は、花鳥諷詠、極楽俳句を信奉。句集『薔薇園にて』『原田青児句集』ほか。