第三百四十六夜 黛 執の「寒紅」の句

 数日前から、黛執(まゆずみ・しゅう)さんの作品を集めていて、今宵のブログに書こうとしていたとき、訃報が目に飛び込んできた。
 驚いて夫に告げると、「そうか。お会いしたことがあったな。銀座の、鈴木真砂女さんの店の「卯浪」で、伊藤通明さん、黛執さんと黛まどかさんとご一緒したよ。まどかさん、小さくて可愛いかったな。」と。
 黛執さんは、俳人黛まどかさんのお父上である。
 
 今宵は、蝸牛社の秀句三五〇選シリーズで登場された黛執さんの作品を見てみよう。

  寒紅のきりりと親を拒みけり  『秀句三五〇選 色』

 「寒紅」は、寒中に造られた紅は品質が良く美しいとされるが、俳句では、寒中に女性が用いる紅を指すことが多い。
 外出支度を整えていた娘は、最後に口紅をつけてきりりとした表情で親を見上げている。親の方は、別に口出しをするつもりはないのだが、娘の口紅は、わたしはもう大人よ、わたしの思う通りに行動しますから、と主張しているようである。
 「目は口ほどに物を言う」は、言い逃れをしても目に本心が現れるということだが、この作品では、目でもなく、心でもなく、まさに「寒紅」の力である。
 女性が大事な人に会うとき、仕事に出かけるときは、最後の仕上げに口紅をつける。親や他人を拒むためではなく、自分を鼓舞する口紅である。「寒紅」は、今は、舞台の化粧ぐらいであろうが、気持ちの張りを感じさせてくれる。【寒紅・冬】

  囮籠昼月とほく歩ましむ  『秀句三五〇選 月』

 「囮籠」は、囮の鳥の入った籠のこと。鳥を捕らえるときは、囮籠の中によく鳴く鳥を入れて仲間を引きよせる。その囮籠を林の中に吊るしたり、木立に置いておき、その回りに霞網、張り網など仕掛けておいた。現在は、禁止されているという。鳥黐(とりもち)などで捕える方法もある。
 鳥は、囮の鳥以外の物音がすると近寄ってこないという。月光も邪魔であるというのだろうか。
 黛執さんは、月も遠くに行ってほしい、と願った。【囮籠・秋】

  春がきて日暮が好きになりにけり  『春がきて』 【春・春】

 『春がきて』は、令和2年、今年の3月に刊行された第8句集である。亡くなられたのが2日前の10月21日であり、第7句集『春の村』が4年前であることを考えると、掲句は80歳をとうに超えての作品である。
 筆者の私も、若い頃から夕暮れが好きで夕焼が大好きであった。どの季節の夕暮れも愛おしい時間帯だが、ことに、春の日暮は水分が多く靄っていて、やさしい色合いを見せてくれる。
 黛執さんは、春になって毎日のように日暮を見て、心穏やかな時間を過ごされたのであろう。

 黛執(まゆずみ・しゅう)は、昭和5年(1930)-令和2年(2020)、神奈川県生まれ。俳人。黛まどかの父。明治大学専門部卒業。昭和40年、五所平之助より俳句の手ほどきを受け、昭和41年、「春燈」入会、安住敦に師事。昭和49年、超結社同人誌「晨」同人参加。平成5年「春野」創刊主宰。句集に『春野』『村道』『朴ひらくころ』『野面積』『畦の木』など。平成16年、句集『野面積』により第43回俳人協会賞受賞。俳人協会名誉会員、日本文藝家協会会員。令和2年10月21日死去。