第三百四十七夜 渥美清の「赤とんぼ」の句

 渥美清が俳句をしていることを知ったのは、雑誌だろうか、徹子の部屋だろうか、それとも「葛飾柴又寅さん記念館」だったろうか。雑誌「アエラ」主宰の「アエラ句会」ほか幾つかの句会で熱心に取り組んでいたという。俳句もいろいろ、だがどれも、俳号の「風天」の如く「寅さん」らしい作風のように感じていた。
 
 今宵は、いつか読みたいと思っていた風天俳句を鑑賞してみよう。
 
  赤とんぼじっとしたまま明日どうする  「アエラ句会」
 (あかとんぼ じっとしたまま あしたどうする)
  
 役者名は渥美清、48作もの代表作映画『男はつらいよ』の主人公の名は車寅次郎こと通称「寅さん」、まさに風天の生き方をしたことから俳句では「風天」と号した。フーテンは、瘋癲(ふうてん)の「通常の社会生活からはみ出して、ぶらぶらと日を送っている人の事で、 風来坊」のことだと思っていた。だが、「風天」を調べてみると異なる意味がある。
 「風天」は、「古代インドの風の神。名誉・福徳・子孫・長生の神。仏教では、西北方の守護神。風神。風大神。 」とある。
 私は、映画館まで通うほどのファンではないが、テレビで再放送が繰り返されている。映画の主人公はハンサムが好きだけど、だんだん惹かれてゆく。映画でも、いい加減に見える振る舞いにも言葉にも、心を止めずにはいられない表情、台詞があって、なんだろうなんだろう、と入り込む。
 風のように吹き過ぎて、なにか一つ風の置き手紙のようなものを残してゆく。
 渥美清の「風天」は、守護神なんだ、と思った。
 
 句意は、杭の先や茎の先にじっとしたまま止まっている赤とんぼを、風天もじっと立ち止まって見ている。風天の心には、俺はこのままフーテンの寅次郎として、この『男はつらいよ』シリーズを演り続ける役者人生でいいのだろうか、という気持ちがあったと思う。渥美清か車寅次郎か、境目のないほどの人気は有難い、だがこれでいいのだろうか。
 「明日どうする」の「明日」は、字余りになっても「あした」と読みたい。赤とんぼに問いかけ、己自身に問いかけている、下句の大事なフレーズだからである。【赤とんぼ・秋】

  好きだからつよくぶっつけた雪合戦

 高校時代から大学時代、お小遣いもアルバイト代もほとんどを注ぎ込んで、私は、冬休みと春休みはスキーに行っていた。
 この俳句でハッとした。ある年、大学のグループで行った蔵王のスキー場でのこと。雪合戦で、下級生の男の子が、いきなり雪礫(ゆきつぶて)をもって近づくや、顔中にぎゅっと押し付けた。息が詰まるかと思った、死ぬかと思った、苦しかった・・そうか、もしかしたら私はちょっぴり憧れの先輩だったのかもしれない。【雪合戦・冬】

 蝸牛社の最晩年、おそらく当社最後の出版であったと記憶しているが、城光貴(じょう・こうき)著、渥美清の語られざる晩年『残照の中で』がある。まえがきによると、城北新報の水沢記者として書いてある。渥美清を取り巻く記者の中では目立つ存在ではなかったようだが、ふとしたきっかけで、言葉を交わすようになったという。
 1句目に紹介した、渥美清の晩年の「明日どうする」は、本著から感じた憂いと葛藤である。
 〈麦といっしょに首ふって歌唄う〉〈お遍路が一列に行く虹の中〉など、素晴しい作品、鑑賞してみたい作品があった。

 渥美清(あつみ・きよし)は、昭和3年(1928)- 平成8年(1996)、東京都台東区生まれ。日本のコメディアン、俳優。代表作『男はつらいよ』シリーズで、下町育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車寅次郎」を演じ、「寅さん」として広く国民的人気を博した名優。没後に国民栄誉賞を受賞。俳号風天。