第二十一夜 上田五千石の「虎落笛」の句

  もがり笛風の又三郎やあーい  上田五千石

 次のような句意であろうか。
「冬の強い風に立つ笛のような音を聴いていると、今にも、風の又三郎が現れてきそうですよ。」

 「虎落笛(もがり笛)」は冬の季題で、冬の烈風が竹垣や電線などに吹き付けて発する笛のような音のこと。「風の又三郎」は宮沢賢治の童話のタイトルであり、主人公の名前でもある。又三郎は、父親の転勤でこの村に越してきた少年だが、どっどどどう、と風が吹くと、どこからともなく現れるので、村の子どもたちからは風の化身と恐れられている少年である。
 中七下五と句またがりになっていながら、口誦性がある。山々に囲まれた盛岡を旅した折には、私はこの句が浮かび、風の又三郎がどこからか現れるのではと期待したほどである。

 上田五千石(うえだごせんごく)は昭和八年東京の生まれ。「俳歴」とか「略歴」などを記入しなくてはならないとき、「昭和二十九年、秋元不死男に入門、俳句を始む」とだけ書いたという。師不死男と雪吊のように一本の糸でつながった師弟という意味である。
 四十歳で主宰誌「畦」を創刊。昭和五十八年五十歳のとき、四十年ほど在住していた富士市を離れ、東京に移り、俳句専業となる。昭和六十一年、「畦」百五十号記念号に論文「眼前直覚」を発表し、「いま、ここ、われ、をうたう」の五千石理念を明らかにした。平成九年九月逝去、享年六十三歳であった。

 今回紹介するのは、有名な代表句〈万緑や死は一弾を以て足る〉もある第一句集『田園』である。後記に次のような言葉があった。
「省みれば、私の句は全て「さびしさ」に引き出されて成ったようである。(略)」
 五千石氏の「さびしさ」はまた「人懐かしさ」と言い換えることができるのではないだろうか。もう一句紹介しよう。

  渡り鳥みるみるわれの小さくなり

 小さくなってゆくのは「鳥」でなく「われ」。最初は作者である「われ」が鳥の遠ざかるのを見ている。次にカメラは鳥になったかのように、「われ」から離れ、小さくなってゆく「われ」を映しつづける。まさに映画の手法であるが「みるみるわれの小さくなり」の措辞で、「われ」という存在の小ささも、ひとりぽっちの淋しさも感じさせてくれる。

 上田五千石の著書『俳句塾』(邑書林刊)に次の語録があった。
「季語は言葉ではあるが、普通の言葉ではない。(略)それは言ってみれば、感動詞を内蔵する言葉だ。「ああ」花。「おお」雪。「あはれ」秋風。(略)」
 この言葉を思いつつ、五千石の句々に触れていった。五千石の句風は、知性でとらえたものを巧みに抒情的に表現すると言われるが、好きな句々からは、「知」の計らいは消えて、ふうわりと読み手の心を遊ばせてくれる。