第三百四十九夜 後藤比奈夫と他3名の「浦島草」の句

 もう10年ほど前になるが、平成21年、山梨県清里の標高1000米の里山に住む植物細密画家の野村陽子さんの『細密画で楽しむ 里山の草花100』(中経出版社刊、中経文庫)を企画し、細密画に添える文章を担当した。
 作品を見せて頂くためにご自宅に泊りがけで行き、お話をお聞きした。
 
 最初に出合った作品は、諏訪湖半にある北澤美術館で開催された『ボタニカルなアート展』で、エミール・ガレやドームのガラス作品と野村陽子の植物細密画とコラボレーションであった。そのとき見た「水芭蕉」に感動した。細密に描き込まれた水芭蕉の「根っこ」の逞しさと数の多さに驚き、植物の美を支えている生存のしたたかさを見せられ、「これはもう植物の裸身のよう!」と思った。
 
 今宵は、見た目にも特徴のある浦島草の句を3人の作品から見てみよう
 
  龍宮も竪縞流行り浦島草  後藤比奈夫
 (りゅうぐうじょう たてじまはやり うらしまそう)

 浦島草は、サトイモ科の多年草。林や竹やぶの湿気の多い辺りに生える。清里の野村家近くを散策したとき、林の奥で見つけ、その後、秋の筑波山頂で、赤い実を見つけた。
 浦島草の花というのは、気味の悪い暗紫色の苞は炎のような形で斑点があり、花の内側はまさに、後藤比奈夫氏の形容した「竪縞(たてじま)」模様である。
 句意は、浦島太郎が亀に連れられて行ったという龍宮城でも、浦島草のような竪縞模様が流行っていましたよ、ということになろうか。
 浦島太郎伝説と植物の浦島草の特色をうまく詠み込んでいる。
 
  浦島草夜目にも竿を延したる  草間時彦
 (うらしまそう よめにもさおを のばしたる)
 
 浦島草という植物名は、森田峠さんの句〈ありあまる糸を垂らせり浦島草〉にあるように、特徴として長い髯を持っている。
 野村陽子さんから、このように聞いていた。
 「ウラシマソウを描いていたとき、揺らすわけでもないのに、仏炎苞の先端の釣り竿のように垂れさがった部分が動く」と。
 絵本を見直したら、肩には竿が確かにあった。
 
  句意は、いつまでも植物と向き合って絵を描いていたいから何時間でも夜中までも描き続けるという野村陽子さんが見たように、草間時彦氏も、浦島草は夜も長い竿のような髯を動かしているのを見た。まるで何かをまさぐっているかのように見えたのだろう。
  
  蜑が家の簾の裾の浦島草  山口青邨 
 (あまがやの すだれのすその うらしまそう)
 
 蜑が家とは、芭蕉は「奥の細道」の象潟で「蜑の家や戸板を敷て夕涼」と詠んでいるように漁師の家のこと。山口青邨は岩手県盛岡市の生まれなので、浦島草も身近にみることができたと思われる。
 浦島草を詠むのに、「蜑が家の」という上五を置いたことが素晴しいと思った。
    
 野村陽子(のむら・ようこ)は、昭和28年(1953)、長野県上伊那郡箕輪町生まれ。武蔵野美術短期大学工芸デザイン科と大塚テキスタイル専門学校で学び、テキスタイルデザイン事務所に勤務。その後スペイン遊学を経て、平成10年(1998)より独学で植物細密画を始める。長野県伊那市の「かんてんぱぱガーデン」には常設館「野村陽子植物細密画館」がある。