第三百五十一夜 佐藤和枝の「白桃」の句

 佐藤和枝さんは、蝸牛社の『秀句三五〇選 画』の編著者として素晴しい俳句を集め、鑑賞してくださった。版画家のお兄様は版画のモチーフを得るために詩を書いているといい、和枝さんは吟行にゆくと、簡単なスケッチをするという。
 『秀句三五〇選 画』のあとがきに、次の言葉があった。
 「俳人、画人に次の世があるなら、画を描く人が、俳句を作る人へと入れ替わったとしても不思議はない。また、絵も俳句も、手法は違っても生まれるものは同質だと思えてきた。(略)連想が描写をうながすことも実感した。」と。
 私も、高校生くらいまでは父と一緒に油絵を描いていたが、その後は絵画展で名画を観るだけになってしまった。だが、名画からヒントを貰うことはよくある。

 今宵は、佐藤和枝さんの作品を見てゆこう。

  白桃をすするこの世に遺されて  『龍の玉』

 「白桃」は、水蜜桃の一種だが、果肉は白く、果汁は多くてとくに甘いのが特長である。「この世に遺されて」とは、大切な身内に先立たれてしまったということだろうか。一人ぼっちになって淋しい。そのさびしさを紛らわすように、白桃をすするようにかぶりついている。
 桃をすするとは、すすっている間というのは、昔の如く豊かな「時」が流れているような気がしてくる。【桃・秋】

  消壺の昔のままや鉦叩  『龍の玉』『秀句三五〇選 虫』
 (けしつぼの むかしのままや 鉦叩)

 消壺は、炭や薪の火を消すのに使う壺のこと。鰻や秋刀魚を焼くなどの特別な料理や、煎餅を焼くにも炭がいい、お米は薪で焚くほうが美味しいという。終えると、炭は消壺に入れて消炭にしておくと、次に火を熾すとき火付がよいという。
 土間の台所が今も遺されているのか、消壺は昔のまま置かれてある。夜になると「鉦叩」がコオロギに似たチンチンチンという鳴き声を立てている。【鉦叩・秋】

  落されし枝の匂へり松手入  『秀句三五〇選 香』

 秋になると植木職人が木に上って庭園の松手入をしているところである。作者の眼前に、松の太枝がはらりと落ちてきた。その瞬間、切り落とされたばかりの枝は清々しい香を放ったのである。
 まさに、打座即刻の作品であり、読み手の私にも、切り取られたばかりの松の香がつんと匂い立つ。【松手入・秋】

 佐藤和枝(さとう・かずえ)は、昭和3年(1928)、山梨県出身。昭和45年、秋元不死男主宰の「氷海」に入会。昭和50年、「氷海」同人。昭和53年、鷹羽狩行主宰「狩」の創刊に同人参加。昭和53年、第5回「弓賞」受賞。「龍の玉」50句にて第2回俳句研究賞受賞。俳人協会会員。句集『星の門』『龍の玉』、編著『秀句三五〇選 画』など。