第三百五十五夜 深見けん二の「枯菊」の句

 夫の畑にも庭の隅にも、小菊がびっしりと蕾をつけて先の方に花の色がほんのり見え始めている。茨城県南の守谷市に越してきてはや15年が過ぎ、もう気分はすっかり地の人である。
 畑を作りはじめたのは、越して直ぐだ。夫は、地元の農家の人から畑仕事をしなくなっているので、空いた畑をどうぞ存分に使ってくださいと言われて大喜びした。大きなスーパーのガーデニングのコーナーに行き、種をいっぱい買い、土を耕し、種を蒔いた。
 農家の人は、不器用な夫の手許を、はらはらしながら珍しそうに眺め、ついには口を出し、土の耕し方も種の蒔き方も教えてくれた。
 畑の周りには、ぐるりと小菊を植えた。
 10月の末には満開になり、12月の末には、からからに乾ききった「枯菊」となった。
 「この枯菊で大きな焚火をしましょうよ。」と、夫に頼んでいた日がとうとう訪れた。
 枯れ具合よし、天候よし、風もないという日を待っていた私たちは、さらに、枯菊焚きが夕暮れ時に最高潮になるように願っていたから、かなり待ちくたびれた。
 
 今宵は又、深見けん二師の作品の鑑賞をしてみよう。

  枯菊を焚きて焔に花の色  『花鳥来』
 (かれぎくを たきてほのおに はなのいろ)

 第4句集『花鳥来』が刊行されたのは、私がカルチャーセンターの深見教室で学びはじめて2年後の、生まれたばかりの結社「花鳥来」へ入会したのと同じ平成3年のことであった。
 会員たちは夢中になって、師から頂いた句集を読んだ。
 
 それから数年後、畑の周りに植えた小菊たちが見事な花を付けた年の暮れ、先生のこの作品の「花の色」をどうしても見てみたいと思った。
 数日前から小菊を切り倒して根を取って乾かしておいた。
 当日は3時過ぎに、積み上げておいた小菊の焚き木の束に火を付けた。
 やがて火が全体に回り、冬の夕日に映え、いよいよ厳かな焔となった。
 花の色を失って土色と化していた小菊だったのに、
 華やぎを取り戻したかのようにちりちり燃えはじめている。
 その時だ。
 私は、色を感じた。
 この色は焔の色ではなかった。
 地上に咲いていた時の花の色かというと、それとも違う。
 この日、私は、師の真似をしてみた。
 深見けん二師ならば、焔をじっと、ずっと見つづけるだろう、と。
 その瞬間、私は、花の色を見たように感じた。
 心から希った時、花の色は見えるのかもしれない。
 
 火を付けて、枯菊が燃え、焔を見つづけて、2時間あまりが過ぎた。
 丁寧に火の後始末をした。
 呼吸を整えた。
 枯菊焚きは終った。
 私は今、確かに焔に花の色を見たと思っている。