第三百五十六夜 兜木總一の「酉の市」の句

 酉の市とは、11月中の酉の日に行われる鷲神社(おおとりじんじゃ)の祭礼で「お酉さま」といって親しまれている。東京浅草の鷲神社が最も名高く、この日は熊手や唐の芋などの縁起物の露店が参道を埋め、雑踏をきわめる。初酉を一の酉、以下二の酉、三の酉という。三の酉のある年は江戸に火事が多いとの俗信があった。
 
 今日は、酉の市の「一の酉」。正確に言えば、前夜祭が1日の夕方から2日の午前2時までで、本祭は2日の昼頃から翌朝の2時まで行われる。すでに、昨夜の酉の市のことはテレビで放映されたが、コロナ禍が長引いていて、出店も客も、用意万端整え、しかも密にならない工夫をしている。
 だが、毎年必ず酉の市に行く人たちは多く、大きな熊手の競りに賑やかに加わっている。熊手はどれも手作りで、店の一番の大熊手は何週間も何十人もの手によって出来上がるという。デパートや銀行の入口や大店の神棚に飾りつけで商売繁盛を願う。
 福徳を掻き集めるということから、竹製の熊手にお多福の面、大福帳、大判小判、福の神、宝尽し、注連縄のついたものなどある。
 
 30年ほど前、祭りの混雑が苦手な私だが、当時住んでいた練馬から近い新宿の花園神社に出かけたことがある。靖国通りや明治通りは、そのころは路駐ができていた。
 
 今宵は、「酉の市」の作品を紹介してみよう。

  二の酉のとつとと昏れてきし人出  兜木總一 『ホトトギス新歳時記』

 二の酉は、11月の中旬で立冬を過ぎている。秋の「釣瓶落し」から冬の「暮早し」である。「とつとと昏れてきし人出」が、江戸っ子の言い回しのようで小気味がいい。酉の市という祭りの出店の人も参加する人たちの熊手を買うときの威勢の良さに通じる言葉づかいだ。
 兜木總一(かぶとぎ・そういち)さんは、大正11年、東京生まれ。やはり江戸っ子だった。「ホトトギス」「玉藻」同人。「惜春」「花鳥来」会員。楊名時太極拳準師範。全日本剣道連盟4段という強者である。

  大熊手裏は貧しくありにけり  藤松遊子 『ホトトギス新歳時記』

 句意はこうであろう。熊手というものは表面は目出度いもので賑やかに飾つけてある。大熊手も小ぶりな熊手も、立て掛けてあるので裏面は見えないから、「裏は貧しく」に、はっとした。「貧しい」は、充分にお金をかけていないとか質素にも通じていよう。
 そう考えると、「裏は貧しく」は決して悪い意味ではない。素封家ほど「晴(はれ)」と「褻(け)」のけじめは、しっかりしているものだからだ。
 藤松遊子(ふじまつ・ゆうし)さんは、ブログ「千夜千句」に2度目の登場。「ホトトギス」同人。深見けん二、今井千鶴子と共に3人で「珊」を続けた。

  又一つ夜空へ積まれ古熊手  深見けん二 『ホトトギス新歳時記』

 酉の市へ行くときは、古い熊手を持って、新しい熊手を買ってくる。酉の市には古熊手返納所があるので、そこに、一年間見守ってくれていた古熊手を置いてくる。
 一つ一つが、それぞれの家やお店の神棚に飾ってあったもの。「又一つ」、そして「夜空に積まれ」に、一入の別れの情を感じる。

  界隈の路地知つてをり酉の市  澤野朋吉 『蝸牛 新季寄せ』

 澤野朋吉(さわの・ともきち)さんは、深見けん二の「花鳥来」の会員であった。途中で退会なさったが、私には、最初にカルチャーセンターの深見教室で出会った素敵な先輩である。澤野さんの住む小川町にある荒川に白鳥が飛来するとお聞きして、ある年のお正月に、関越道を走った。お電話をすると荒川の川原へ来てくださって、数年前の霞ヶ浦の白鳥と同じくらい白鳥とにらめっこした。
 掲句は、埼玉県比企郡小川町にある緑町不動尊境内で開催される酉の市であろう。小川町は、和紙の町でもあり古い町並みがある。澤野さんは、小川町の隅々までご存知なのだ。酉の市には奥様と揃って不動尊に参り、熊手を買った。
 
 4人の4句であるが、酉の市というものの姿が見えたように思う。