第三百五十八夜 中川宋淵の「秋風」の句

 今日、みすず書房刊『現代俳句全集』をぱらぱら捲っていて、中川宋淵に出合った。お名前は知っていたし、蝸牛社刊『秀句三五〇選』シリーズにも、登場している。だが、宋淵が飯田蛇笏門であり臨済宗の禅僧であるということは初めて知った。
 山梨県向嶽寺で得度し、まだ修行中であった24歳の頃だ。宋淵は、富士山に暫く籠もったのち寺へ帰る前に飯田蛇笏の門を叩いたという。
 その折に蛇笏に問うたのが次の一句である。
 
 今宵は、禅僧である中川宋淵の作品を見てみよう。

  1・秋風や火口に落つる砂の音
  (あきかぜや かこうにおつる すなのおと)
  
  2・秋風や火口を落つる砂の音  『詩龕』句文集

 宋淵は、1句目の作品を出して見せた。蛇笏は、この作品を見て直ちに入門を許可したという。だが、宋淵の目の前で1文字の添削をした。それが2句目である。中七「火口に落つる」の助詞「に」を、「を」に変えて見せた。
 宋淵は、その違いを直ちに理解したという。禅僧なので、まさに阿吽の呼吸のようだ。
 
 わが師深見けん二は、投句した原稿を戻してくださる時、丸を付けてくれるか無印かのどちらかである。たまに丸印の句に添削を入れてくださるが、蛇笏の添削と同じで、一文字であることが殆どである。
 一文字の添削は、最初の頃は納得するまでに、時には1年も要することがあったが、最近は理解できるようになった。そして凄く有り難く嬉しい。
 
 掲句の添削された2句目の句意は、秋風が吹く中で、作者の宋淵は、砂が火口を滑り落ちてゆく音を聞いたのだ、ということだろう。
 この「を」は、移動性の動作の経過する場所を表している格助詞で、1句目の「に」は場所を指定する格助詞である。動きが感じられるという点で、2つは違っている。
 
  寺に来て露より小さき人なりし  『現代俳句全集』みすず書房
 
 中川宋淵の作品と為人(ひととなり)を本著で紹介しているのが、長谷川朝風という日本画家であり俳人である。彼がある日、龍澤寺に行った時に宋淵からこの句を渡されたという。
 その頃の長谷川朝風はやりきれない自己嫌悪に襲われていた時期であったというが、その顔を見てすぐに心を読み取った宋淵がすぐに一句をしたためて、にっこりと渡したのであった。
 
 長谷川朝風は、示された一句は、大きな衝撃を私に与え、かつまた、大切な一つの啓示ともなったという。
 露よりも小さき人で若し私があり得るならば、何もあせることは無いと思ったという。

 この「露より小さき人なりし」の措辞を読みながら、私も自らを振り返って「ああ、わたしもよ・・」と思った。
 
 中川宋淵(なかがわ・そうえん)は、明治40年(1907)-昭和59年(1984)、山口県岩国市生まれ。東京帝国大学文学部卒業。昭和の臨済宗の禅僧。号は密多窟。俳人としても知られている。大学在学中の昭和6年(1931年)、山梨県の向嶽寺勝部敬学につき得度。後に、山本玄峰老師の法灯を継承し、臨済宗龍澤寺の住職となり、アメリカで禅宗の布教を行う。
 俳句は飯田蛇笏に師事し「雲母」同人。句集は『詩龕(しがん)』『命篇』『遍界録古雲抄』ほか。