第三百六十夜 木附沢麦青の「冬に入る」の句

 明日11月7日は立冬。私は11月生まれ、しかも立冬直後の頃に生まれているので、晩秋から初冬の晴れた日などは身体中の細胞が喜んでいるのを感じるほど。季題の主題は「立冬」、傍題に「冬に入る」「冬来る(ふゆきたる)」「冬立つ」「今朝の冬」がある。
 
 今宵は、角川春樹編『現代俳句歳時記』から「立冬」の作品を紹介してみよう。
 
  山の影山にしたがひ冬に入る  木附沢麦青
  
 木附沢麦青(きつけざわ・ばくせい)は、岩手県二戸生まれ。八戸で俳誌「青嶺」を創刊、主宰。〈立春の山が山押す陸奥の国〉という麦青の作品を見かけた。そこに、麦青の作品の方法として「同質因果」があるとしていた。麦青氏に〈こころまだどこへもゆかず雪籠り〉という句もある。いくつかの作品を見てゆくと、山も人も、たとえどこかへ行きたくても、その場を離れてゆけない理由があるのかもしれないと感じた。
 掲句の句意は、山の影は太陽の日射しによってその影の落とす位置は変化してゆくが、それは、山に従っている影があるためである。
 山そのものは動かないが、立冬の作る山の影をしみじみと眺めながら、作者は、山と影という互いの関係を変わらぬ因果と捉えたというのであろうか。
 
  次の2句は、飯田蛇笏と三橋鷹女の作品の「眼」によって表現されている「立冬」の句、しかも捉え方が異なっている句なので、鑑賞を試みてみよう。

  凪ぎわたる地はうす眼して冬に入る  飯田蛇笏
  
 飯田蛇笏の住む山梨県笛吹市境川は、中央アルプスを遥かにし、秩父連山、富士山を間近にした地で、この辺りは農業と桃や葡萄の果樹栽培の地でもある。
 蛇笏は、早稲田大学の頃から俳句を始め、高浜虚子のホトトギスの第一次黄金時代の作家の一人であったが、家業の農業を継ぐようにという父からの命により境川村に戻った。
 俳句を諦めることはなく、やがて「雲母」の主宰者となり、現代俳句の大きな拠点となった。
 句意は、この見わたすかぎり穏やかな大地は、うっすら眼を開いたまま冬になってゆくようだ、となろうか。 
 
  冬来る眼をみひらきて思ふこと  三橋鷹女

 このとき、三橋鷹女の眼は見開いていた。たとえば冬から春、春から夏、夏から秋へ変わるとき、心持ちはそれぞれだろうが、「眼をみひらきて」ではないと思う。
 だが、立冬を前にしたある日、あるいは立冬の日、鷹女は思った。
 冬を前にした人は覚悟をする。気候の変化だけではないかもしれない。間近に年末があり新年が始まる。人は、一年を振り返って考え、来年という未来へ向かって考える、と。
 「眼をみひらきて思ふこと」は、鷹女らしいきっぱりした表現とも感じるが、珍しくストレートな表現であるとも思った。