第三百六十一夜 阿部完市と4人の「十一月」の句

 昨日は「立冬」の日付を間違えてしまった。今朝になって気づいて訂正させて頂いたが、本日の11月7日が「立冬」であった。季節を大切に俳句を詠む皆様に、私は、俳句に携わる者としてあるまじき間違いをしてしまった。申し訳ございませんでした。
 
 11月も立冬を過ぎると気温も落ち着き、関東に住む私には、初冬になったというよりも美しい秋本番がやってきたようにも感じている。
 今宵は、「十一月」の季題の作品を紹介してみよう。

  十一月あつまつて濃くなつて村人  阿部完市 『秀句三五〇選 数』

 阿部完市の作品は、意味を追いかけても捕まえることのできないもどかしさもあるが惹かれてしまう。
 この作品は「十一月」の季語が効果的だと思った。農作業は終わっていて村中で祭をしたり冬の準備を共同で行ったりする。昔から村人たちが集まることが多いのが十一月であろう。「あつまつて」いる村人たちが同じ目的で何かをしている。それは色にすれば「濃く」なってゆくことかもしれない。
  阿部完市(あべ・かんいち)は、昭和26年生まれの精神科医。「青玄」「俳句評論」、金子兜太の「海程」同人。

  あゝたかき十一月もすみにけり  中村草田男 『新歳時記』平井照敏編

 大歳時記にも季寄せにも、必ずのように中村草田男のこの句が例句がある。「十一月」以外はすべて平仮名である。この季題だけで、一月(ひとつき)が充分なのだ。暑さが終わって寒さはこれから。十一月は「あたゝかい」ままに「すみにけり」となる。そんな一月なのだ、十一月というのは・・。
 中村草田男(なかむら・くさたお)は、明治34年生まれ。高浜虚子に師事し「ホトトギス」の有力俳人。「萬緑」を創刊、主宰。

  宙に日を十一月の楢櫟  星野麦丘人 『新歳時記』平井照敏編

 雑木林の楢(ナラ)も櫟(クヌギ)も、落葉樹。葉をすっかり落とした雑木林は明るく、見上げればどこからも宙という天が見え、お日さまも見える。
 これも、まさに十一月であり、十一月のナラやクヌギの林である。
 
 星野麦丘人(ほしの・ばっきゅうじん)は、大正14年-平成25年、東京生まれ。昭和20年、「鶴」に入会し、石田波郷、石塚友二に師事。後に「鶴」の主宰。

  雨が消す十一月の草の色  大島早苗 『ホトトギス新歳時記』

 十一月の雨は、「時雨(しぐれ)」かもしれないが、しづかな落ち着いた降り方を思う。草の色も、もう青々としてはいない。だんだん枯れて土の色と同化している草は、雨によって一層目立たない草となる。
 大島早苗(おおしま・さなえ)は「ホトトギス」の俳人。

  峠見ゆ十一月のむなしさに  細見綾子 『冬薔薇』

 「十一月」の句の5人5様を見ているが、むなしさを感じているのは細見綾子。
 山は、青嶺ではなく、冬山となり山眠るころであろう。木々は葉を落とし、透けてみえる。「むなしさ」は、ここでは生き生きした魂がぬけおちているように感じていることだろうか。
 細見綾子(ほそみ・あやこ)は、明治40年生まれ。夫である沢木欣一の「風」の創刊同人。天衣無縫の作品と言われる。