第三百六十二夜 小林貴子の「白鳥」の句

 小林貴子さんは、蝸牛社の秀句三五〇選シリーズの『芸』に編著者としてお書き頂いた。『虫』をお書きくださった、貴子さんの師である「岳」主宰の宮坂静生先生の原稿とともに、編集整理をしていた日々を思い出している。
 
 今宵は、小林貴子さんの作品を見てゆこう。

  虚空虚空と白鳥の鳴き交はす  『紅娘』  
 (こくうこくうと はくちょうの なきかわす)

 「虚空虚空」は、白鳥の鳴き声をこの文字にしたのであろう。遠くシベリアから群れをなして飛んでくるとき、或いは、日本の湖沼で一日に数回飛翔するとき、群となって鳴き交わしながら飛ぶ空は、何もない空(くう)であり虚空である。
 「虚空」の文字を当てたところがこの作品の手柄であるが、「虚空」は深くて広い。【白鳥・冬】

  海市見せむとかどはかされし子もありき  『海市』 
 (かいしみせむと かどわかされし こもありき)

 「海市」は春の季題。「蜃楼」と「海市」「空中楼閣」はどれも蜃気楼のことで、光の異常屈折が原因で、遠くのものが浮かんで見えたりする現象。日本海の魚津に見る海市が有名。
 「海の向こうに大きな城が見えるよ。すごいんだ。おじさんと一緒においで!」などと言われて、ついて行き、連れ去られ、どこかへ売られた子がいたという。
 小さい頃、「知らないおじさんについていったらいけない。怖いからね。」と言われていた。東京に住んでいても、夕暮れは人通りが少なかった。それでも子どもたちは外で日が暮れるまでかくれんぼ、けんけん、縄跳びをしていた。【海市・春】

  海鼠腸や大江健三郎談義  『海市』  
 (このわたや おおえけんざぶろう だんぎ)
 
 私も書店で、堆く積まれた大江健三郎の『万延元年のフットボール』を横目で見ながら迷ったこと、『群像』などの雑誌で読んだ大江健三郎の作品は難解だったが、喫茶店で、サルトルを読んでは他校の学生たちと文学談義をしていた大学時代を思い出した。
 小林貴子さんたちの談義はどうやら呑み屋のようだ。海鼠腸(このわた)は、ナマコの腸の塩辛。日本酒と海鼠腸の組み合わせは、人によってはたまらない一品である。作品はどれもも突っ込みどころのある作家だから、楽しく夜が更けたことであろう。
 長男光くんがテーマの『恢復する家族』は、重くて深くて救いがある作品であった。【海鼠腸・冬】
    
  夕虹や泣く前の口横張りに  『秀句三五〇選 笑』蝸牛社
 (ゆうにじや なくまえのくち よこばりに)

 この光景はよくわかる。子どもが叱られてから泣き出すまでの口の動きだ。私が小さな娘の母親であった頃、叱るときには、母親である私の方もかっかと怒っていたので、当時は観察するには至らなかった。今ならよくわかるし、子の口元も、叱る母親もなんだか愛おしい。
 夕虹の中での出来事というところが心憎いほどだ。【夕虹・夏】

 小林貴子(こばやし・たかこ)は、昭和34年(1959)、長野県飯田市生まれ。昭和56年、信州大学学生俳句会、宮坂静生の「岳」入会。昭和57年、藤田湘子の「鷹」入会。後「鷹」退会。平成15年、第58回現代俳句協会賞受賞。代表句〈この世から三尺浮ける牡丹かな〉など。松本市在住。「岳」編集長。句集は『海市』『北斗七星』『紅娘(てんとむし)』、著書は『秀句三五〇選 芸』蝸牛社、『もっと知りたい日本の季語』本阿弥書店など。