第二十四夜 山崎ひさをの「毛糸」の句

  子の両手よりの無限の毛糸まく  山崎ひさを『歳華』

 句意は次のようであろうか。

 子が両手を拡げて毛糸の束を持ち、母がくるくると巻き取ってゆく。「無限」の措辞は、果てもなく巻かれてゆく毛糸玉であり、母と子の無限の愛でもある。この毛糸を間にして楽しい会話があり、絶え間な笑い声も聞こえてくる。母との時間は子にとっては、何ものにも替え難くいつまでも続いてほしい時間である。小さな腕が疲れても、ついつい頑張ってしまう子の愛らしさが感じられる句である。父親は母と子の輪に入ることはできないが、この慈愛に満ちた光景そのものが父親の大きな腕の中にあるのである。

 山崎ひさをは、昭和二年東京生まれ。昭和二十三年より俳句をはじめ、富安風生・岸風三楼を師系として「若葉」「春嶺」で学び、昭和五十七年より「青山」を主宰する。また、俳人協会の事務局長として、一を言えば三歩も四歩も先まで読んで応えてくださり、てきぱきと明快に事を処理していく姿がまず浮かんでくる。
 ひさをは、先師岸風三楼の「俳句は作者の履歴書である」を信条にしてをり、第五句集にいたるまで毎回の「あとがき」には先師の、この言葉が書かれている。
 
 ひさを俳句は身辺吟が多いのが特徴である。かつて「俳句」誌でひさをは、生活と俳句との関わり方について触れて、「人間形成即俳句」と言い、「現代に生きる一人の人間として毎日の生活を充実させることが、一見迂遠のようでいて、その実もっとも大事な基本」と述べている。これが、ひさを「履歴書」なのであろう。
 もう一句紹介しよう。

  白鳥の死やその上に春の雪  『百人町』

 悲しくて美しいのが「死」の本質ではないかと思った。勿論「美」は、この場合、外見ではなくて、絞り出されるような澄んだ心の一滴のようなものである。三月の初め頃には、北に向かって次々飛び立つ白鳥であるが、翼に怪我でもしたのだろうか。ついに死んでしまった。白鳥の飛来する北国では、まだ春の雪が降り積もっている。死んでしまった白鳥の上にも、羽毛蒲団を掛けてあげているかのごとく降りかかっている。「春の雪」がいかにも優しい。
 
 感性の豊かさ、把握の確かさ、根源をいつも探る目を持って、伝統継承のうちに、新味追求、現代諷詠を指標とするひさを俳句である。