第三百六十四夜 高浜虚子の「マスク」の句ほか

 コロナという病魔が、じつは何だかよく解っていないまま、長い閉じ込められた日々が続いている。2月からいきなりステイホーム、リモートワーク、テレワークなどの片仮名用語、#(ハッシュタグ)の記号が新聞やテレビに飛び交っている。
 本日は私の誕生日で後期高齢者になったばかりだが、のほほんと黒ラブ犬のお母さんをしている場合ではない。
 #感染症、コロナが感染症であることがわかったが、風邪薬を飲めば大丈夫と思っていた風邪も名前を変えて歴史が長い。一つ一つが医学の進歩によって死に至る病だったものが恢復できる病となっていった。結核も感染症であり、私の母も一年間療養所に入院していたが、運良く、ストレプトマイシンという特効薬が開発された直後だったので投薬されて、恢復できた。
 
 子が風邪を引くと医者に駆けつけるが、私自身は病院へはなかなか行かない。だが今回のコロナは、まだワクチンも投薬には至っていないので、絶対にコロナには罹りたくないから、マスク、手洗い、うがい、睡眠、食事など神経を尖らせて生活している。
 
 今宵は、マスクの作品を見てみよう。

  1・マスクして我と汝でありしかな  高浜虚子 『五百五十句』
  2・マスクして我を見る目の遠くより  虚子 『五百五十句』
  
 1句目、マスクは、大正時代には風邪を引いたときにはしていたようだ。虚子の主宰する「ホトトギス」は、20人ほどの句会がいくつもあって、吟行句会である。たとえば、小石川植物園とか向島百花園の前で待合せするが、冬などマスクをかけていて、久しぶりに会うと、「あっ、君だったのか」ということになる。
 2句目、遠くからじっと見ているのは、しばらく考えてから誰であるか気づくからであろう。
  
  3・うち笑める眉目秀でゝマスクかな  虚子 『五百五十句』
  4・生姜湯に顔しかめけり風邪の神  虚子『六百五十句』
  5・嘘云わぬためマスクとり物を云ふ  村上冬燕

 現在のコロナ禍の時代になって、マスクは必需品となり、トータルコーディネイトの一部となっている。外出禁止になってから、守谷市役所から市民全員にマスクが支給された。国からのマスクは国会で議論してかなり後に3枚が送られてきた。そのうち、器用な友は自作のマスクをするようになった。
 私は、デザイナーの友人から「みほさん、勇気を出して付けてね。」と黒い花柄と黒とグリーンのマスクを頂いた。これを「付ける」というか「着こなす」には勇気が要ったが、もう平気!
 
 3句目、マスクをすると、お化粧はできない。目と眉だけが勝負! 目も笑うことができることは、友の目を見て知った。
 4句目、生姜湯は風邪に効くという。そう簡単に人間の風邪が治ってしまうと、風邪の神は困るのかもしれない。もしかして、お洒落なマスクも迫力あるマスクにも、コロナの神は顔をしかめて退散してくれるといいのだけれど。
 5句目、マスクにはもう一つ効能があった。人前であっても物を言わなくても咎められずにすむし、本当のことを言いたくなくて少しの嘘を言うことがあるかもしれない。冬燕さんは、嘘を言わないためにマスクは外す。
 
  くさめして我はふたりに分かれけり  阿部青鞋 『気象歳時記』蝸牛社
  
 掲句の句意は、ハクションと大きなくしゃみは、身体が2つに分かれ、二人の人になってしまいそうですよ、ということだろう。
 『気象歳時記』の著者、気象予報士の平沼洋司氏によれば、寒さとの関係はウイルスの性質による。一般に風邪のウイルスは低温、低湿度の方が活発になるという。
 くしゃみなどの粒子も乾燥した環境の方が長く浮遊でき、喉などに入った異物を体外に排除する粘膜の線毛運動も低温になると低下してくるという。

 ようやく、マスクをかける理由、ビニールのシールドがある理由、飛沫防止のためにソーシャルディスタンスを2メートル開ける理由がわかった。確かに、咳もくしゃみも飛沫は驚くほどの迫力がありそうだ。