第三百六十五夜 阿部青鞋の「秋晴れ」の句

 昨夜の第三百六十四夜の中で、阿部青鞋の〈くさめして我はふたりに分かれけり〉を紹介した。今までになかった独特の発想にうれしくなり、書棚の『ひとるたま』を取り出して読み直した。
 改めてプロフィールを読み、青鞋氏の「随想」に触れた。一番に驚いたことは教会の牧師であったことだが、そう言えば、阿部完市は精神科の医師であった。
 
 今宵は、第3句集『ひとるたま』の「随想」から青鞋氏の俳句の考え方と作り方を紹介しながら作品を見てみよう。

  1・秋晴れや蝶はつめたきところより
  2・地に移りながら牡丹は散りにけり
  3・かたつむり踏まれしのちは天の如し

 1句目、秋晴れの日、野原や庭に蝶が低く飛んでいるのを見かけることがある。今日の温さに飛んできたとは思ったが、「どこから」きたのかは考えなかった。
 だが、青鞋氏は「つめたきところより」と詠んだ。この秋晴れの日向よりもっと冷たい場所に隠れていた蝶が、暖かさにつられて出てきたのだ。【秋晴れ・秋】
 2句目、牡丹の花びらは大きい。何十枚もの花びらが崩れるように散る様は、花びらの大きさのためか、心なしゆっくりと地に落ちてゆくような感じがする。青鞋氏は「地に移りながら」と描写した。確かに、ゆっくりとした落花の姿が見えてくる。【牡丹・夏】
 3句目、下五の「天の如し」がわかりにくかったが、川名大氏の『現代俳句』のすばらしい鑑賞で納得した。
 かたつむりが踏まれてぺしゃんこに真っ平らになった。それを上方に真っ平らにひろがっている「天」のごとし、としたアナロジーが絶品である。ここには「かたつむり」と「天」をつなぐ昇天という意味作用も匿(かく)されている、と川名氏は述べた。
 「昇天」と解釈したことで、かたつむりの死は非業の死ではなくなった。【かたつむり・夏】

 次の2句は、無季である

  4・指一つ読みさしの書のしをりにす
  5・洪水や浮かんで帰りくるものあり

 4句目、読書の最中にちょっと電話があったり家人が話しかけてきたりしたとき、ひょいと、読みかけの頁に指を挟むことがある。今までにこのような場面を詠んだ句も見たこともないし、句を詠んでみようと思ったこともない。「読みさしの書をしをりにす」とは、なんと品のよい表現であろうか。
 5句目、旧約聖書の創世記のノアの方舟を思った。神は人間をお造りになったが、人間は悪いことを覚え、諍いが絶えなくなった。そこでよい人間の一家族と動物たちそれぞれ一対ずつを大きな舟に乗せ、大洪水を起こして、他は絶滅させた。洪水が終えたとき大地へ戻ったのはノアの方舟に乗っていた者たちだけである、という話だ。

 青鞋氏は、どのような思いで句を作っているのかと問われて、こう答えている。
 「――人間が生きる上に、何でもないことは先ず無い。何でもなさそうな事も、みな何でもある。全て何でもあるものが、何でもないような顔をしているそのおかしさを、私は私なりのありていな言葉で言ってみたいだけだ。(略)」

 阿部青鞋(あべ・せいあい)は、大正3年(1914年)- 平成元年(1989)東京都渋谷区の生まれ。高輪学園卒業。昭和11年頃、新興俳句系に参加。昭和12年、渡辺白泉らの同人誌「風」に参加。同年、内田慕情の「螺旋」に参加。「動線」を創刊。昭和15年、住谷栄子と結婚。昭和34年、受洗し、牧師となる。昭和38年、「瓶」(のち「壜」)創刊。句集は、『火門集』『続火門集』『ひとるたま』。昭和58年、第30回現代俳句協会賞受賞。平成元年、死去。