第三百六十九夜 中村草田男の「林檎」の句

 中村草田男は、「千夜千句」の第四十六夜で「秋の航」の句を書いていて、今回は2回目である。だが1回だけでは草田男俳句の魅力は伝えられないし、私自身も解らないことが未だたくさんある。
 草田男の弟子であり「方舟」主宰であった、宮脇白夜の編著『草田男俳句365日』梅里書房刊を取り出してみた。
 
 今宵は、草田男の11月の作品から2句を紹介してみよう。

  世界病むを知りつゝ林檎裸となる  『火の島』
 (せかいやむを しりつつりんご はだかとなる)
 
 まず「世界病むを」の句に引かれるようにページを止めた。草田男がこの作品を詠んだ昭和14年は、ドイツのヒットラーが台頭していた時代で、この句がホトトギス誌上に発表されて間もなく、ヒットラー率いるナチス・ドイツ軍がポーランドに侵入し、数日後にはイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界対戦が勃発した。400万人ものユダヤ人が殺されてしまった。こうした時局を、すばやく草田男は「世界病む」と捉えた。

 この「世界病む」は、2020年の今、世界中に蔓延し、5000万以上もの人が感染し、130万人もの命が奪われているコロナ禍を思わせる。戦争とは違うが、世界が地球が、為すすべもわからぬままに、何かが狂っていることを世界中の誰もが感じている状況だ。
 
 作品の句意は、新聞を見てもラジオを聞いていても、世界が戦争に向かっている雰囲気を肌で感じている。昭和11年は、二・二六事件、昭和12年は日中戦争、そして昭和14年には、ドイツ、イタリアと共に日本は第二次世界大戦に突入していった。そうしたことを知りながら、軍人でない庶民の我が家では、林檎を剥いて食べているのですよ、となろうか。
 「林檎」の丸い形は、丸い地球の暗喩かもしれない。実際、日本人は「裸となる」の言葉通りになったのだから。
 こう考えてゆくと、草田男が昭和14年に詠んだ17文字は、恐ろしいほどの鋭い予感であったのではないかと思う。
 
 昭和16年、俳句は「芸」であると共に、時代の中の生活者としての「文学」であるべきとして、草田男は「ホトトギス」と師の虚子から巣立ち、昭和21年に俳誌「萬緑」を創刊主宰し、以後は、詩人(ディヒター)を目指した。

  空は太初の青さ妻より林檎うく  『来し方行方』
 (そらはたいしょの あおさつまより りんごうく)

 句集『来し方行方』集中の作である。妻とは、〈妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る〉〈妻二タ夜あらず二タ夜の天の川〉の妻であり、草田男の妻俳句の頂点をなす作品である。
 掲句は、敗戦の翌年の昭和21年の作。家を失い学校の寮に住んでいたが、その板の間の真ん中はピアニストを目指していた妻直子のグランドピアノがどんと置かれていた。直子は夫草田男のために林檎を剥いてあげている。
 「太初」と詠まれると、二人は旧約聖書時代のアダムとイブに戻ったようだ。とすると、この林檎はあの禁断の林檎ということになる。
 『草田男365日』には、当時大学生であった宮脇白夜が訪ねると、草田男は留守であったが、直子は草田男のことを「あの人から俳句をとったら何も残りませんから、大目にみているんですよ」と言った。その言葉が今も忘れられないという。
 私は、夫のことをそう言える心の広い妻って素敵だな、と思った。