第三百七十夜 日原傳の「零余子」の句

 日原傳氏は、有馬朗人先生がご指導されていた東大俳句会に、一時、私の長女も在籍していたことから、お名前は存じ上げていた。
 この度、『蝸牛 新季寄せ』の中に、「零余子」の作品を見つけて懐かしく思い出した。

 今宵は、日原傳氏の作品を見てみよう。

  Gパンの尻より零余子さしだしぬ  『蝸牛 新季寄せ』
 (じーぱんの しりよりぬかご さしだしぬ) 

 秋になって山間部を散策すると、零余子が見つかることがある。自然薯や長芋の葉腋についている肉芽が零余子である。「ぬかご」とも「むかご」とも呼ぶ。ふつう指先ぐらいの大きさで、皮は褐色で肉は白い。
 〈二つづつふぐりさがりのむかごかな〉という宮部寸七翁(みやべすなお)の作品があるように2つずつぶら下がっている。
 かわいらしいので、見かけるとつい摘んではポケットに入れる。作者は、Gパンのポケットに入れておいたのであろう。家に戻って、奥様や子どもたちに右や左のズボンのポケットから、「ほうら、これが、ぬかごだよ」と、零余子をぞろぞろと出した。
 「Gパンの尻より」出てくるお土産は、家人にとっては何より楽しく嬉しいもの。その晩は、まず塩茹でにしてビールのつまにしたり、零余子飯を炊いたりであったに違いない。【零余子・秋】

  蓮の葉のうねりて遠き蓮の花  『重華』

 大きな蓮池であろう。たとえば、私の住む近所であれば手賀沼の蓮は、一面の蓮畑で6月には蓮葉が茂りはじめ、7月末から8月になると花が咲く。風の強い日、沼を揺るがすかのごとく蓮の葉が揺れる様子を見たくて、私は、よく出かけた。木道があって大きな蓮葉は手が届くほど、背も高く、蓮葉が揺れると大きな朝露がこぼれたこともあった。
 風の蓮葉は、あちらに渦を作るかと思えば、また別の一角に渦を作っている。
 風の姿は目には見えないけれど、絵本に描けば形がある。気づくと楽しくなる。風さんが、遠くに行ったり戻ってきたり。その風のうねりの間に、遠くに蓮の花が見える。
 手賀沼の蓮は、背の高い葉に埋もれるように咲いているから、この作品にすぐさま納得した。【蓮・夏】

  母呼べば馳せてくるなり羽抜鶏  『重華』

 「羽抜鶏」とは、羽の抜けかわった鶏のこと。羽が飛び散り、鳥肌をあらわにした鶏の姿は、どこか滑稽で哀れだ。
 この作品の母が羽抜鶏に似ているというわけでな勿論ない。
 母親というものは、子から呼ばれれば、いつどんな時であっても、先ず駆けつけるものだ。その姿が、あられもない、という場合だってあるだろう。

  空飛んで来たる顔せず浮寝鳥  『此君』

 水に浮かんだまま頸をを翼の間に差し入れ、身じろぎもせず眠りながら漂っている姿が浮寝鳥。遠くシベリアから飛んできて疲れている様子も傍からは窺うことはない。
 「顔」は、心の動きが表れた顔の様子をいう言葉だから、鳥には用いない言葉だろう。だからこその新鮮さである。【浮寝鳥・冬】
 この作品の収められた『此君』で第32回俳人協会新人賞を受賞した。
 
 日原傳(ひはら・つたえ)は、昭和34年(1979)、山梨県生まれ。中国文学研究家。昭和54年、東大学生俳句会に入会し、小佐田哲男、有馬朗人、山口青邨の指導を仰ぐ。平成2年、有馬朗人主宰の「天為」の創刊に参加。平成4年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程を単位修得後退学。平成11年、法政大学人間環境学部助教授、平成15年より同学部教授。「天為」同人。平成21年、第3句集『此君』で第32回俳人協会新人賞を受賞。句集は他に『重華』『江湖』『燕京』。妻の明隅礼子も俳人。