第三百七十一日 金子兜太の「鰯雲」の句

 今日、埼玉県寄居にある父母の墓参りをしてきた。秩父が好きな父が墓所を求めたのは、当時練馬区に住んでいて関越自動車道を走れば、元気な頃は簡単に秩父へも遊びに行けるし、遺された者にとって墓参りにも行きやすいと考えたからだ。だが、娘夫婦は茨城県に転居し、ハイウェイ3つ通っての墓参りとなった。
 久しぶりのドライブの小春の空の美しいこと、11月なのに春霞のごとく地平線がおぼろで、秩父の山々のうっすりとした連なりは墓参りに相応しい柔らかさで迎えてくれた。
 秩父と言えば、金子兜太先生を思い出す。版を重ねた『子ども俳句歳時記』の出版においても助言を頂き、監修をお引き受けくださった。夫と一緒に秩父札所巡りをした折に、金子兜太氏の故郷の皆野町を通ったこともある。

  鰯雲故郷の竈火いま燃ゆらん  『少年』
 (いわしぐも こきょうのかまどび いまもゆらん)  

 小さな鱗が1団となってだんだんだんと大空を動いてゆく「鰯雲」の姿は、昔のことを思い出すとき、細々した心の揺れを託したいとき、じつに相応しい季語である。
 句意は、鰯雲を見ているとき、故郷の秩父では今頃は、竈の火が勢いよく燃えているだろうとなる。鰯雲の季節は、寒さに向かう頃だから、作者はふっと竈の火の温さと赤い色を思い出しているのであろう。【鰯雲・秋】
 
  朝日煙る手中の蚕妻に示す  『少年』
 (あさひけぶる しゅちゅうのかいこ つまにしめす)

 昔は、農業の合間に秩父地方にかぎらず蚕を飼っている家は多かった。埼玉の寄居も秩父地方も桑畑をよく見かける。
 まだ太陽が煙るような朝、二人の朝一番の仕事が、桑の葉を採ってくることと蚕の棚に桑の葉を敷き詰めて蚕たちに食べさせることだ。一つ手に乗せて、夫は妻に白いふにゃっとしたイモムシのような虫を見せた。妻が「きゃっ」と叫んだかどうか。
 「示す」は、ただ「見せる」というよりも、「ほら、これが、かいこだよ」と、教えていることになる。新婚の頃の兜太氏と奥様の皆子さんであることが伝わってくる。【蚕・春】

  沼は夕焼溺死の話佇ちたるまま  『秀句三五〇選 死』
 (ぬまはゆうやけ できしのはなし たちたるママ)

 句意は、沼は今夕焼けている。その沼で溺死事件があったのだろう、人が集まってきて、佇ったままあれこれと噂している。これは、実際にあったことをそのままに詠んでいる。金子兜太の俳句として、造型もせず、飛躍もせず、見たままを詠むのは珍しいとも言える。
 だが、『秀句350選 死』の編著者の倉田紘文はこう書いている。
 「ここでは、その何もかもがありのままに詠われているのであり、そのありのままであること自体が哀しいのである。
 人の世のことに一切かかわりもなく、自然が自然として美しいのが哀しいのである。」と。

 この俳句が好きという場合、「ありのままを詠んでいるから好き」という感想もある。それを説明してしまうと、描写の上手さということになるかもしれない。【夕焼・夏】

  どれも口美し晩夏のジャズ一団  『蜿蜿』
 (どれもくちはし ばんかのじゃずいちだん)

 「どれも口美し」を、なかなか理解できなかった。私は、「美し」を「うまし」と読みたいが、川名大氏は「はし」と読むのがよいという。
 ジャズを演奏する楽器は、ピアノなど鍵楽器、ドラムなど打楽器、フルートやトランペットなどの管楽器、ハープや竪琴などの弦楽器など様々である。
 ジャズを演奏する人たちは身体全体を使って表現しているが、私の世代は、日野皓正のトランペットの吹き方に魅了されたものだ。フルートもドラムも好きだが、ジャズ演奏の、口元でリズムをとる「口美し」の表現がすごい。それを「うまし」としたかった。
 「どれもくちうまし ばんかの じゃずいちだん」と、口ずさみたかった。