第三百七十二夜 嶋田麻紀の「打水」の句

 嶋田麻紀さんが未発生脳動脈瘤の開頭手術をされたことは、お送りいただいている2020年8月号「麻」の随筆で知った。夫の荒木清が真っ先に読むが、「麻」を読むや、驚いた様子で「君も読みなさい」と、冊子をわたしてくれた。
 コロナ禍の第2波の最中で、句会が休みだったことだけでも主宰者としては、幾分の心のゆとりの中で手術と恢復の日々を過ごされたのではと思った。
 少し前にコロナのことは一度書いたが、今日の患者数は、たとえば東京では493名と発表された。数日前には初の300代、今日は400代の後半である。日本での1日の合計は2018人。いよいよ、第3波の感染爆発(パンデミック)である。
 
 今宵は、嶋田麻紀の主宰誌「麻」から作品を見てみよう。

  人類の愚へ天の打水続く日々  「麻」7月号
 (じんるいのぐへ てんのうちみず つづくひび)

 「麻」3月号で、編集長の松浦敬親氏の作品〈春節や感染爆発(パンデミック)の爆竹音〉を見ていた。コロナの俳句作品を見たのは初めてで、まだ、新聞やテレビの報道からも、コロナの正体が何か、判明していなかった頃であった。
 毎年の風邪の流行性感冒の一つで、冬が春になれば、きっとコロナは終息すと信じていた。あれから10ヶ月が過ぎ、まさに爆発が実感されてきた。長い人類の歴史の中で、こうした感染症は繰り返し起きている。
 
 句意は、次々と起こす人類の愚かな行動に対する、天からの打水が続いている日々ですよ、ということであろう。
 一種の神の裁きととることもできるが、夏の「打水」は、埃を沈めたり、一服の涼のために撒く水のこと。「打水」を作品の季語とし、さらにこの動作を繰り返していることに、諭しの猶予が感じられる。作者のやさしさを見る思いがした。
 「人類の愚」を考え、反省し、地球人として私たち人間の一人一人が真摯に取り組んでいかねばならぬことは多いと思う。国と国も「お前の国が悪い」という考えでは、天は許してくれない。地球が一つになってよき方へゆく道筋を歩まねばならないのだろう。【打水・夏】

  地球病む太陽を見ぬ七月よ  「麻」7月号
 (ちきゅうやむ たいようをみぬ しちがつよ)

 今年の7月は涼しくて雨の日が多かった。コロナ禍は確かに世界中の国々が戸惑っている「地球病」である。日々伝えられる世界の感染者数と死者数は、第2波の始まった夏の初め頃から〈疫病に増やす死者数梅雨出水〉のように、増え出した。【七月・夏】
 
  草取りやひとの嗚咽の根が残り  「麻」7月号
 (くさとりや ひとのおえつの ねがのこり)

 哀しみが伝わってくる作品である。7月号には、コロナ禍を詠ってもいるが、ご自身の手術後の思いの作品が並べられているように感じた。
 その随筆は、必ずしも直後のことではなく、翌月の8月号に書かれたものではないだろうか。私よりも1年先輩である嶋田麻紀さんの、書かれた一語一語にはぐいぐい響くものがあった。
 
 麻紀さんの家の庭には沢山の木々や花が植えられているという。移植して50年の枝垂桜の下には、どれも迷い込んだり拾ってきた3匹の野良犬で、亡くなると庭の梅の木、紫陽花の植込みの傍、最初の1匹は枝垂桜の下に埋められた。そして、最愛のご主人の遺骨も枝垂桜の下に埋葬されたという。
 草取りをしていると嗚咽が聞こえる。「ひとの嗚咽の根がのこり」とは、ふっと夫の嗚咽が聞こえたように思われたことを、このように詠ったのであろう。
 桜が美しいのはその根元に屍体が埋められているからだという梶井基次郎の言葉など時に思い出しながら、嶋田麻紀さんはその枝垂桜を眺めてきたという。【草取り・夏】