第三百七十三夜 深谷雄大の「雪の華」の句

 北海道は、旅行で一度だけ訪ねた大地だが、知床へ向かうバスからの暮れてゆく大空の広大な景色に何とも言えない感動をおぼえた。東から、どんどん暗くなり黒くなってゆくが、ふり返ると西の空は明るく、徐々に赤味を帯びていった。
 その夜、初めてくっきりと天の川を見た。
 
 今宵は、「雪の雄大」とも呼ばれる、北海道旭川市在住の深谷雄大氏の、雪の作品を見てみようと思う。

  花のなき蝦夷の冬の雪の華  『寒烈』
 (はなのなき えみしのふゆの ゆきのはな)

 「蝦夷(えぞ)」を、古名の「えみし」と読ませている。北関東、東北、北海道の地に住む人を蝦夷と言っていた。この作品は、旭川市に住む深谷雄大氏なので、北海道のこととして考えよう。
 蝦夷の大地は冬に咲く花はない。だが、雪は降る。雪の結晶は俳句では「六の花(むつのはな)」とも言われる六角形をしている。これが「雪の華」である。
 句意は、植物の花は咲かないけれど、この蝦夷には雪の華がこんなにも美しく咲くのですよ、ということであろう。
 
 雪の結晶の研究者であり、『雪は天からの手紙』など随筆家としても有名な中谷宇吉郎が発見した。【雪の華・冬】
 
  日の涯雪の涯の春動く  『寒烈』  
 (ひのはたて ゆきのはたての はるうごく)

 この作品は、「涯」にルビを振って「はたて」と読ませているが、意味としては「はて」と考えてよさそうだ。
 広い北海道の大地では、今、立冬を過ぎた太陽が春に向かって一日一日と日射しを伸ばしている。北海道の雪は、内地と異なり、雪が溶けて春の大地を見せ、蕗の薹が一番に顔を出すのは4月になってからかもしれない。
 句意は、日の涯である立冬、雪の涯である雪解、「冬は必ず春となる」の言葉があるように、遅々として遅々として動きながら季節は春になるのだ。
 「春動く」と、自動詞であるところがいい。【春・冬】

  癪の虫しづめ吹雪は背で堪ふ  『日の川』『秀句三五〇選 虫』 
 (しゃくのむし しづめふぶきは せでこらう)
 
 むしゃくしゃと腹立たしい気持ちになることを「癪」という。また、胸や腹に急な差し込みの激痛が走ることも「癪」というが、「癪の虫」なので、ここでは前者であろう。
 癪の虫をしづめるのは吹雪の中を一歩一歩ゆくのがいい、というか、恐らく作者の深谷雄大氏はわが家に戻るのか仕事先へ向かうのか、猛吹雪を背に受け止めて堪えながら歩きつづけるより他に方法はないのだから。一気に走って行くことも、車で飛ばすこともできないのが吹雪の中である。
 ゆったりした息遣い、歩行という規則的に刻むリズム、これが次第に心を整えてくれる。癪の虫の一番の対処法である。【吹雪・冬】

 深谷雄大(ふかや・ゆうだい)は、昭和9年(1934)、旧朝鮮生まれ。北海道旭川市在住。石原八束門。「秋」創刊同人。昭和53年、「雪華」を創刊・主宰。「雪の雄大」と言われるほど、雪の句に多くを費やし、北方の風土と深く斬り結び、述志の詩・生存の詩の表白を貫いている。著書に、句集『定本裸天』『白瞑』『雪月』『太初』『雪二百句』『季題別全句集』など15冊。評論集『旭川と俳人』『石原八束百句』『表現と表白』『新・俳句の実作』、雑文集、鑑賞集、入門書など15冊。旭川市文化賞、北海道現代俳句賞、鮫島賞、北北海道現代俳句協会大賞ほか受賞。