第三百七十四夜 古館曹人の「時雨寒」の句

 今朝の犬の散歩でのこと、いつも畑道を抜けてゆくが、道の濡れ方が不思議であった。途中までは濡れていないのにその先に雨の降った形跡がある。関東平野の真ん中にある守谷市は、白雲や黒雲が通り過ぎてゆくがよく見える。黒雲の下にさしかかると雨が降ってくる。この黒雲が「時雨雲」であろうか。11月は、時雨月ともいわれるほど。
 時雨は晩秋から初冬の頃に、晴れていたかと思うと一瞬に曇りサアーと降り、また晴れるといった雨で、通り雨ともいう。語源は「しばしば暮れる」「過ぐる」だそうである。
 
 今宵は、曹人氏の「時雨」の作品を見てみよう。

 産小屋に星の穴ある時雨寒  『砂の音』
(うぶごやに ほしのあなある しぐれざむ)

 「産小屋」という言葉は、何しろ出産は病院でするものだと思っているから、知らない人たちの方が多い時代となっている。
 かつては全国各地に見られた産小屋は、その多くが海辺や村と村の境、神社の傍などに建てられていたという。小屋は粗末なもので、窓もない薄暗い小さなものだったようだ。
 日本書紀に「鵜葺屋」という産所の記事も見られる。鵜の鳥の羽を集めて葺いた屋根で出来ている小屋だという。古い習俗だが、血に対する禁忌に根ざすものといわれる。

 妊婦は、産気づくとこの産小屋に移され、室内に下がっている太い綱にすがりついて苦痛をまぎらわせながら、やっとの思いで出産した。
 産小屋は、お産だけでなく、月経中の女たちにも使われていた。生理やお産を不浄とした古い時代のものだが、戦後間もない頃まであったようだ。

 句意は、こうであろう。曹人さんたちは、産小屋に入ってゆくと、天上に穴があいていることに気づいた。電気を引いてない部屋の、明かり取りとして穴は作られていると思われるが、雨など振り込まないように庇の下の方に穴があった。
 曹人さんは、それを「星の穴」と考えた。
 産小屋を見学した日は、時雨の降る寒い日ではあったが、光が漏れていた。小さな穴から入る光だが、どこか暖かさを感じた。
 産小屋での、産気づくまでの不安、産気づいてからの痛み、生まれた赤ん坊との日々の夜を、その穴から漏れる星明かりは、どれほど妊婦を励ましてくれたことか。
 「星の穴ある」という中七の言葉の、なんと希望に溢れていることだろう。【時雨・冬】

 古館曹人(ふるたち・そうじん)は、大正9年(1920)- 平成22年(2010)、佐賀県杵島郡出身。東京大学法学部卒。在学中に学徒出陣を経験。東大ホトトギス会に入会し山口青邨に師事、俳句雑誌「夏草」の編集をする。山口青邨の没後、有馬朗人の「天為」、黒田杏子の「藍」、斎藤夏風の「屋根」、深見けん二の「花鳥来」と、「夏草」の多くの会員のために結社作りに奔走した。昭和54年、第4句集『砂の音』で俳人協会賞受賞。句集は、『ノサップ岬』『海峡』『能登の蛙』『樹下石上』『繍線菊』『男たちよ』。著書は、『山口青邨の世界』他多数。