第二十六夜 今瀬剛一の「凍滝」の句

  しつかりと見ておけと滝凍りけり  今瀬剛一
 
 句意は次のようであろう。
「凍滝を見ていたら、私の姿をしっかりと眼に留めておきなさい、と凍滝の方から言われたように感じましたよ。」

 今瀬剛一は昭和十一年生まれ。水戸一高入学と共に作句を開始。二十五歳で「夏草」、三十五歳で「沖」創刊と共に参加する。五十歳で「対岸を」創刊主宰する。

 東茨城郡常北町の水戸から車で二〇分ほどのご自宅に、蝸牛新社刊行の「俳句・俳景」シリーズ『山河随吟』の見本刷りをお届けに向かったことがあった。少し小高くなった竹藪のところです、と教えてくれた場所に着いた。庭は竹藪や雑木林に囲まれていて、雑木林は丸く庭を囲み、秋には栗が一杯落ちるので取りにいらっしゃい、と仰有ってくれた。雑木林はかなり深そうなので「どこまでお庭ですか」と尋ねると、「少し先は下りになっていてずっと家の畑です」という。何とも広々として気持ちのいいところにお住まいであった。
 
 掲句の滝は、ご自宅から車で北上して一時間ほどで行けるところにあり、剛一の滝の句はほとんどが袋田の滝である。完全凍結した滝を見たのは、まだトンネルのできていない頃の月の夜で、山裾の細い道を幾曲がりもしながら滝の麓へたどりついたという。「月が中天にかかっていてそれが滝の沈黙を深めていた」という幻想的な美しさの前で目を離すことのできない気持で佇む作者に、滝から「しつかりと見ておけ」と言われたかのように詠んで、力強い一句となった。
 現在トンネルの中の滝の入口で、この句碑が出迎えてくれる。
 
 私たちが見に行ったのは、しばらく後の真夏であった。私は巨大な岩を布引のように流れる壮大な姿を真下から眺めたが、夫は展望台まで細い階段を上っていき、「よかったぞ」と自慢した。
 
 『山河随吟』のあとがきに、次の言葉があった。
「対象として向かったのでは本当の姿を見せてくれないように思うのである。」と、作品が出来なくなると自然の中へ出かけるが、句帳や鉛筆を持たずに行く場合が多いと述べている。
 もう一句紹介しよう。
 
  雁よりも高きところを空といふ
 
 筆者の私も茨城在住なので、筑波山へドライブするときなど、雁が棹となり、くの字形になって飛んでゆく姿を目にすると、見えなくなるまで思い切り首を反らして真上の雁を見上げている。
 だが作者の剛一は、「ああ、雁」と雁を見上げているつもりが、いつの間にか「ああ、空だ」と感動している。きっと、雁の向こうにある空の、無限の広さ高さ深さを見上げていることに気づいたからであろう。