第三百七十六夜 久保より江の「小春」の句

 大学時代からの友人であるヒロコ・ムトーさんは、作詞家、ミュージカル作家、エッセイストであり、大変な猫好きでもある。最初の猫の五右衛門(ごえもん)は、チンチラ・シルバー種の白い美しい猫で、何とメス猫。この猫を飼うことになったとき、ご主人は「五右衛門という名前にするなら、飼ってもいい。」と言ったそうである。無茶苦茶だが、すでに、ひと目惚れしてしまったヒロコさんは勿論OKした。
 内猫として誰からも可愛がられ、長生きした。
 だがヒロコさんは、外猫として駐車場で餌をあげていた猫は数え切れないほどいた。猫が死ねば、何日も泣いて過ごすのに、散歩中の川原で捨猫を見かければ、必ずのように抱いて帰って来た。
 著書に『幸福な猫の淋しい背中』『猫の遺言状』『野良猫ムーチョ – 心に吹く風』があり、ミュージカルに「ゴールド物語」「猫の遺言状」「幸せ猫」がある。
 
 一方、犬好きな私は室内犬として現在3頭目の黒ラブを飼っているが、猫好きとは又違っているような気がする。
 
 今宵は、猫好きの俳人として知られる久保より江の作品を見てゆこう。

  猫の眼に海の色ある小春かな  『ホトトギス同人句集』
  
 この作品は最初、「小春」の例句を探していた時に平井照敏編著『新歳時記』に見つけた。猫の眼の色は、美しいブルーとか金色とかエメラルドグリーンなど、西洋の貴婦人を思わせる眼の色をしている。
 猫は、犬と違って単純ではないし、人間にベタベタしないし、ちょっと扱いにくいプライドの高い美人を相手にしているようなところがあるという。 
 句意は、小春日の穏やかで暖かな日射しが入り込んでいる部屋のソファーの上で、呼んでも直ぐには来ない猫だが、美しい眼でこちらを見ている。その眼は、深い海の色マリンブルーを湛えている。【小春・冬】

  帰り来ぬ猫に春夜の灯を消さず  『ホトトギス同人句集』

 猫と犬の大きな違いは、鎖や綱で縛られていないことだろう。繋がれた犬を飼っている私には、外へ出た猫がはたして戻ってきてくれるか、とても堪えられそうにはない。
 猫は、外で何をしているのだろう。別に過ごす相手がいるのだろうか。別に過ごす家もあったりするのだろうか。そう考えると、猫は犬よりもずっと自由を得ている。
 句意は、なかなか帰ってこない猫のために今夜も明りを消さないでおいていますよ、であろう。【春夜・春】

  猫に来る賀状や猫のくすしより  『より江句文集』

 猫も犬も、飼っていれば役所に登録し、年1回の感染症予防接種の注射をしたり、毎月フィラリア予防の薬を飲んだり、元気な飼い主よりも頻繁に動物病院の世話になっている。
 句意は、わが家の猫に年賀状が、動物病院のお医者様からきるのですよ、であろう。
 「くすし」とは、動物病院の医師のこと。
 あら、人間には病院の先生から年賀状が来ることはないのに、ご主人は有名な医学博士の家の猫だからかしら、と思っていた。だが現代では、犬にも年賀状が来る時代になっている。

 久保より江(くぼ・よりえ)は、明治17年(1884年)- 昭和16年(1941)、伊予松山に生まれる。幼時、夏目漱石や正岡子規が下宿していた愚陀仏庵(ぐだぶつあん)は、母方の祖父が持ち主であったことから、当時12歳のより江は、若くして漱石や子規と面識を持ち可愛がられもしたが、俳句をすることはなかった。明治40年、夫久保猪之吉とともに福岡に移り住んで以来、時々ホトトギスに小説を寄稿したがまだ俳句には至らなかった。大正7年、清原枴童の熱心さに動かされて句作、後に虚子門に入る。著書に『よめぬすみ』、『より江句文集』がある。