第三百七十七夜 深見けん二の「落葉」の句

 利根川に沿って、ふれあい道路がある。半分は桜で半分は銀杏の街路樹だが、今は銀杏黄葉となって散りかかり降りしきっている。落葉も遅速があり、往復の景色も、朝日の頃と夕日の頃とを考えて買い物の時間をずらしている。
 この、ちょっとした合間が、私のささやかな吟行。
 明日は、つくば市へ向かう大通りにアメリカ楓の並木道があるので、今年も見に行こうと考えている。久しぶりに、夫と犬のノエルと一緒に。
 
 今宵は、深見けん二師の「落葉」の句を見てゆこう。

  ざわめきの天より起る落葉かな  『日月』 

 「落葉」の句の中で、私の一番好きな作品である。第6句集となる『日月』は、平成9年秋から13年冬までの作品が収められていて、第21回俳句文学賞を受賞された。
 私は、毎回必ずというわけではなかったが、この頃、例会、虚子研究会、小句会に参加していた。例会は吟行句会なので、師の立ち尽くし、集中し尽くしているお姿は忘れない。対象に向かう姿を「深見ごっこ」と名付けて真似をしようと心がけてはいたが、なかなかむつかしい。
 句意は、大樹の下に佇んでいた時のこと、落葉ははらはら降っていたが、樹の天辺からざわざわと音がしたと思うや、風とともに落葉がどどどと降ってきた、という景であろうか。平成12年の作である。
 この作品の前に、けん二先生は、平成9年〈ひつそりと時にざわめき落葉降る〉を詠んでをり、その3年後に、同じような景に出合って、「天より起こる」という表現を授かったのだと思った。

 私も一度だけ、似たような経験をした。上野の国立美術館の中庭のベンチで、まだ館内にいる友を待っていた時であった。「あっ、先生の作品の音だ!」と、感じ入った記憶がある。

  接吻やマロニエ落葉降り埋み  『雪の花』 

 セイヨウトチノキは、フランス語でマロニエという。成長すると36メートルほどの高さにもなる。ヨーロッパでは16世紀頃から並木として植えられ、パリのシャンゼリゼ通りの並木が有名で、ことに恋人たちの道という印象がある。
 出張先のパリで散策したマロニエの並木は落葉の真っ最中。恋人たちとすれ違い、接吻したまま動かぬカップルも見かけた。「降り埋み」がいい。
 昭和36年、新金属の視察団の一員として欧米を50日間出張した時の作であろう。その中に〈雪いつか降り今を降り街灯る〉という作品もある。

  地に届く時のためらひ木の葉降る  『蝶に会ふ』

 この作品は、落葉になる直前を詠んだものである。
 句意は、木の葉が幹を離れて地へ落ちるまで眺めていると、木の葉はすぐに地へ落ちてしまうのではなく、一瞬ためらうかのような間合いを感じた、というのであろう。
 朴落葉のように大きな葉かしらとも思ったが、つくば植物園で見た朴落葉は重そうにドスンと落ちた。確かに小さな葉っぱの方が、風としばらく遊ぶような風情を感じさせる。それを「ためらひ」と捉えたのかもしれないと思った。

  病む妻の一日落葉ひもすがら  『深見けん二俳句集成』

 一回りお若い奥様は、深見けん二にとってよき妻であり、俳人深見けん二の一番の理解者であり、「花鳥来」の会員たちの姉であり母のようにして、私たち皆を見守ってくださっている。
 昭和25年の年末、お疲れが出たのか胃を悪くされ入院された。けん二先生にとっては、おそらく初めての置いてきぼりであったのではないだろうか。病院に一日横たわっている奥様を思いながら、先生は、庭の落葉をずっと眺めていらした。