富安風生の特長の一つは軽妙洒脱である。
『自句自解富安風生集』によれば、ホトトギスにおいて、高浜虚子における去来的存在であった田中王城から、風生俳句の破格破調の句に対して、「かくて若い者は風生と共に地獄に堕ちる」といった慷慨の手紙が届いたという。それは、俳句の品格が落ちるという嘆きの手紙であった。
それほど風生俳句は、ホトトギスの会員たち、読者たちを驚かせたのであった。
しかし、虚子がこれらの表現技法の句も大きく包容してくれたからこそ、鋭敏な感覚を縦横活発に働かせた風生の新天地の、文字からの発想の名句なども生まれたのである。
今宵は、富安風生の戦前戦後に詠んだ軽やかなタッチの作品を見てみよう。
1・すゞかけ落葉ネオンパと赤くパと青く 『松籟』
(すずかけおちば ねおんパとあかく パとあおく)
1句目の句意は、街路樹の鈴懸落葉のある街。戦前のことだから銀座、渋谷、新宿などであろう、ネオンがぱっと赤く、次にぱっと青く変わり、通りに吹き溜まっている落葉も、ネオンの色が変わる度に、赤く染まったり青く染まったりする、ということだろう。
戦後直後に生まれた私の知っているネオンも、現在のネオンとは違って、色の種類も少なく色が変わるスピードも早くはなかった。
「ネオンパと赤くパと青く」は、直ぐには理解できなかったことを思い出している。
2・春の雨街濡れSHELLと紅く濡れ 『冬霞』
(はるのあめ まちぬれシェルと あかくぬれ)
2句目、雨の日は、ネオンも街の看板の色も、濡れた舗道にとりどりの色が流れてゆく。
句意は、春雨に街が濡れ、「SHELL」とアルファベットで書かれたシェル石油の大きな赤い看板のネオンが、濡れた街を(くれない)にじゅわっと滲ませている、ということだろう。
この句は、自動車のまだ少ない時代のことで、ガソリンスタンドで働くガソリン・ガールなど、当時は華やかな職種であったようだ。
3・皹といふいたさうな言葉かな 『晩涼』
(あかぎれと いういたそうな ことばかな)
3句目、風生は、漢字の面白さ、言葉の面白さもターゲットに作品を詠んでいる。
句意は、口に出しても、漢字で書いても、何だか、うすい皮膚が切れるような感触のする「皹(あかぎれ)」の文字を「いたそうな言葉」と捉えた、ということであろう。〈かげろふと字にかくやうにかげろへる〉もある。
もう1つは、風生の作品から生まれた新季題の句を紹介しよう。
何もかも知つてをるなり竈猫 『十三夜』
(なにもかも しつておるなり かまどねこ)
暖かい場所が好きな猫は、台所の竈の火が消えたあとに、そっと入り込んで寝そべっている。
句意は、竈に寝そべっている猫は、家族中の話し声が聞こえていて、じつは何もかも耳に入っていて知っているのに知らん顔をしている、ということだろう。
風生は、そんな猫を「なんと人の悪さよ」と言いつつも、大いに猫党であったという。
「竈猫」は、その頃はまだ季題にはなく、風生の造語である。虚子は、季題に対して厳しいと同時に柔軟であり、「1つの名吟によってその後その新語は新季題として認められていい」と言い、草田男の「万緑」は夏の季題、風生の「竈猫」は冬の季題へと仲間入りした。