第三百八十五夜 深見けん二の「冬日」の句

 今日は12月1日の師走。カレンダーを捲ると、わが師深見けん二の色紙であった。見事な冬晴れの朝一番に〈わが頬を燃やし励ます冬日かな〉の作品に出合って、うきうきしてしまった私は、久しぶりにお声を聞きたくなり、お電話をかけてしまった。
 今年は長いコロナ禍で「花鳥来」例会もなく、しかも2年前から私は杖をつく身なので、往復3時間の電車と吟行句会をすると、丸一日となる例会への出席は叶わずにいた。
 短いお電話であったが、お声に、ほっとし元気をいただいた。
 
 今宵は、「冬の日」「冬日」の作品を見てゆこう。

  1・わが頬を燃やし励ます冬日かな  『菫濃く』以後
  2・真つ向にさしくる虚子の冬日かな  『日月』

 「冬の日」は、冬の一日をさす場合と、冬の太陽をさす場合がある。冬の太陽の場合は「冬日(ふゆび)」という。
 1句目、句意は、冬晴れの日の太陽が、わが頬を燃やすかのごとく射している。さあもう一息頑張りなさい、と励ましてくれているようですよ、となろうか。
 2句目は、1句目と同じように、冬日は真っ向からけん二師へ射るような日射しである。だがこの冬日は、深見けん二にとって特別な「虚子の冬日」なのである。
 
 この「千夜千句」の第五十二夜でも「冬日」の句を紹介したが、あれから1年近くになろうとしている。
 虚子は、「冬の日」の季題は、好きな1つなのだろう。岩波文庫の『虚子五句集』の季題索引でみると、「冬の日」は27句、その中で傍題の「冬日」は26句であった。いかに、太陽と真向かってきたかが解る。
 
 終戦後の昭和20年、虚子は朝日新聞の依頼により、投句欄の選者となり、1年後の昭和30年には小俳話も合わせて掲載されるようになった。その俳話を纏めたものが『虚子俳話』である。
 その『虚子俳話』には、「冬日」の文章の2回前に、近詠として次の句があった。2回後には、「冬日」の句と文章がある。

  1・我が額冬日兜の如くなり 『七百五十句』
  2・旗のごとなびく冬日をふと見たり 『七百五十句』

 1句目の句意は、燃えるような冬日を額に受けて、我が額は、冬日の兜をかぶっているようですよ、となろうか。
 2句目は、『虚子俳話』の「冬日(一)」に書かれた文章を転載する方が、句意も、よくお解りいただけると思う。
 「(略)
  冬日のある示現であった。
  小さく天にかかっていた冬日が、ある瞬間鶴翼(かくよく)を広げて見せた威容であった。
  冬日を存問する人間に対する荘厳な回答であった。
  その冬日は、忽ち天涯に威容を示した旗のごとくなびく冬日であった。揺らぎつつある光の溶鉱炉であった。」

 もう少し、虚子の「冬日」の作品を挙げてみる。
 
  冬日柔らか冬木柔らか何れぞや
  暖き冬日あり甘き空気あり
  わが眉の白きに燃ゆる冬日かな
  地球一万回冬日にこにこ
  我が庭や冬日健康冬木健康
  
 こうして並べてみると、深見けん二師の「冬日」が「虚子の冬日」を感じながらの作であることがよく解るような気がする。けん二師は、さらに俳句に燃え立ち、いよいよ励まされるのではないだろうか。