第三百八十八夜 千原草之の「蜜柑」の句

 千原草之氏を知ったのは、最初は、虚子の小説「椿子物語」の主人公となった千原叡子さんのご主人であり、また、昭和22年に波多野爽波をリーダーに結成された関西の「春菜会」のメンバーであることであった。虚子は同時に、東京の「新人会」を上野泰をリーダーに結成し、東西の若い門下生を、稽古会を催して指導していた。
 東京の「新人会」のメンバーの一人が、「花鳥来」主宰の深見けん二先生である。辿ってゆくと、不思議に繋がっていた。
 
 今宵は、千原草之の作品を、第1句集『垂水』と『ホトトギス―虚子と100人の名句集』から紹介させていただく。

  トンネルがとても長くて蜜柑むく 『ホトトギス―虚子と100人の名句集』 

 「トンネルがとても長くて」「蜜柑むく」とは、なんと面白い心の動きであろうか。考えてみると誰にもありそうだ。ちょっとした時間の隙間にふっと手持ち無沙汰な自分の両手に気づいたりする。このトンネルは、蜜柑を剥く両手が使える列車であろう。
 川端康成の小説『雪国』に「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」とあるが、上越線の清水トンネルで、9,702mの山岳トンネルのこと。
 単調なガッタンゴットンの響く中で、昔の列車は横揺れもしていた記憶があるが、暗闇に包まれながら、窓には蜜柑を剥いている姿が暗く映っているところが旅情であろうか。【蜜柑・冬】

  富める音して扉閉づ冷蔵庫  『垂水』

 句意は、何だかお金持ちになったような音を立てて冷蔵庫の扉はゆっくりと閉まる、ということだろうか。
 第1句集『垂水』の作品には制作年があり、昭和32年という時代背景を思い出すことができた。私が小学校6年生で、忘れもしないある日、わが家に冷蔵庫がやってきた年であった。その少し前にはテレビがやってきた。
 裕福ではなかったが、世は経済成長に入ろうとしていた。冷蔵庫を開けると冷えた空気が出てくる。閉じると出てこない。私たち子どもたちは開けたり締めたりを楽しんだ。「富める音」とは幸せな音なのだろうが、上手いなあ、と思う。【冷蔵庫・夏】

  愉快な彼巡査となつて帰省せる  『垂水』

 小学校や中学校時代のクラス会に出席すると、この作品のように、都会から帰省して、思いがけない変貌を遂げた友に会うことがある。
 人一倍やんちゃで、いたずら好きな彼だったのだろう。クラス会で一人ずつ自己紹介のとき、あの彼が今は巡査をしているという。誰もが、「おいおい、あいつ大丈夫か、巡査って取り締まる側だろ・・」と、驚きの声をあげている。
 「愉快な彼」という上五が、じつにユーモラスである。【帰省・夏】

  幻のしふねきことも風邪ゆゑか  『垂水』

 「しふねし」は「執念(しゅうねい)」の文語で、しつこいこと。
 句意は、ひとつの夢や現実ではないものが、しつこく纏わりついて頭から離れようとしない。これは風邪の熱のためにぼーっとしているからであろう、となろうか。
 「幻のしふねきことも」は、脳神経外科である千原草之氏ならではの、作品の導入の言葉遣いのように思われるし、もしかしたら、「風邪」の症状の具体的な描写のようにも感じられる。【風邪・冬】

 どの作品もさて鑑賞しようとすると、やさしい表現のようでいて、独特な捉え方をしていることに気づかされ、魅了された。

 千原草之(ちはら・そうし)は、大正14年(1925)- 平成8年(1996)、富山県高崎市生まれ。昭和21年、京大三高ホトトギス会に入会。昭和22年、波多野爽波を中心に春菜会ができ、高浜虚子に師事。さらに星野立子、高木晴子に師事。昭和36年、ホトトギス同人。京大医学部卒。医学博士。脳神経外科。俳人千原叡子は妻。