第三百八十九夜 奥田智久の「秋天下」の句

 奥田智久氏の俳号は、本名の「智久(ともひさ)」を(ちきゅう)と読む。もう大分前のことで作品を正確に思い出すことができないが、作品の雰囲気から「智久」を「地球」のように感じたことがあった。
 
 今宵は、奥田智久氏の作品を『ホトトギス―虚子と100人の名句』より紹介させていただく。

  口笛を吹く顔来たり秋天下
 (くちぶえを ふくかおきたり しゅうてんか)

 句意は、爽やかな秋空の中を口笛を吹きながら友がやってきた、となろう。 
 「口笛を吹く顔来たり」とは、変わった表現と感じるが、口笛を吹いている友の顔でよいと思う。または、若き日の友はいつも口笛を吹いていた。だから、智久氏が彼を思い出すときは必ず「口笛を吹く顔」なのであったに相違ない。【秋天・秋】

  雷光や天地創造かくもありし 
 (らいこうや てんちそうぞう かくもありし) 

 この句のような景を、映画の「天地創造」で見た。旧約聖書の創世記の、ノアの方舟にノアの一家と動物の雌雄の一対、植物の種などを積み終えた後の、神の裁きによる洪水である。地上のすべてを入れ替えたときの凄まじい映像を思い出す。
 雷光の凄まじさを、二階のベランダで眺めていたことがあるが、昔から、台風に吹きもまれる樹々や、逆巻く川の流れを、どうなっているか見たくて出かけては、父にも夫からも叱られていた。【雷・夏】

  夕焼褪め砂漠は東より昏るる 
 (ゆうやけさめ さばくはひがし よりくるる) 

 砂漠には行ったことがないが、北海道に旅行したときに見た。また、私の住む関東平野の真ん中の茨城県南では、「東より暮るる」を東西に走る道路で12月の冬至の頃に実感したことがある。赤々と染まっている夕日が褪めるころ西へ向かって走っていたが、東の空をふり返ると、暗闇が迫るほどであった。
 アフリカの砂漠であれば、さぞかしであろう。【夕焼・夏】

  不時着や星とぶ夜を迎へたる 
 (ふじちゃくや ほしとぶよるを むかえたる) 

 サン・テグジュペリの『星の王子さま』を思い出す。小さな星から落ちてきた「星の王子さま」と、不時着した飛行機乗りの「ぼく」は、アフリカの砂漠で出合った。
 掲句は、「不時着や」と切れているので、不時着した砂漠で星の王子さまとぼくの2人の物語がはじまったことを表している。
 そこから、王子さまの星のこと、そこで大切に育てている一輪の薔薇のこと、たくさんの夜空の星の主のこと、一風変わったやりとりがある。さらに星の王子さまが地上で出会った人や花やキツネやヘビたちから、多くを学んだ。そして1年が過ぎ、星へ戻る日がやってきた。
 いよいよ「星とぶ夜を迎へたる」である。
  
 この作品が『星の王子さま』のことではないだろうかと思った私は、今日、読み直した。じつは、何回目かであるのに、解らないままのヘビの登場と役割などが残っていたのだ。
 ヘビはその毒で、星の王子さまを死なせる役であった。もう1つは、昔から言われているように、死んだ人は星になる、ということであった。空の星は、見上げる人たちにいつだって笑って応えてくれる、ということであった。星飛ぶ・秋】
 
 このような俳句を詠む奥田智久氏に、かつて、「智久」の俳号に「地球」を感じたことが懐かしい。
 
 奥田智久(おくだ・ちきゅう)は、昭和6年(1931)に北海道岩見沢市に生まれた。本名は智久。昭和21年、「ホトトギス」600号に初投句初入選。昭和23年より虚子、年尾、汀子三代にわたって直接の師事を受け、今日に至る。