第三百九十夜 大久保橙青の「セーター」の句

 12月上旬、今日は晴天。ちょっとの買い物が、筑波山を広々と見わたす枯田道へと遠回りになってしまった。長く続く銀杏並木は半分は散り半分は黄葉が朝日にちらちら照らされて美しかった。主婦の短い家出もたのしいもの。

 今宵は、大久保橙青の作品を『ホトトギス-虚子と100人の名句』から紹介してみよう。

  セーターの赤が似合ひて老いにけり

 略歴のお写真は、『ホトトギス-虚子と100人の名句』が刊行される8年近く前なので、80歳半ばであろう。白髪のハンサムなお方とお見受けした。
 句意は、赤いセーターを着ると、老いて白髪だからであろう、お似合いですねと言われるようになった、となろうか。
 セーターを着こなすのは若者でもむつかしいものだが、橙青氏はかなりのお洒落、鏡をちらっと見て、「うん、わるくはないな」とご本人も納得しているようだ。【セーター・冬】

  奥阿蘇に虚子絵巻ありほゝとぎす
 (おくあそに きょしえまきあり ほととぎす) 

 地図で見る奥阿蘇という地名は、熊本県の阿蘇山から少し離れた観光地に付けられているようである。虚子は熊本県には3回訪れたという。
 昭和3年に江津湖を訪れたときは〈縦横に水のながれや芭蕉林〉と詠み、昭和27年、虚子が小国町の有力俳人の笹原耕春に高野素十とともに招かれたときは〈小国町南小国町芋水車〉と詠んでいる。昭和30年には、熊本市の江津湖、さらに有明海を船で渡って長崎県島原市を訪れている。
 虚子を招き、地元のホトトギスの俳人たちと句会をし、その一つ一つが思い出となったとき、華やかな「虚子絵巻」となるのであろう。

 句意は、奥阿蘇には、遠く鎌倉から虚子を招いての句会が催され、語り継がれているが、それは絵巻物のようでしたよ、折から、時鳥がよい音色で鳴いていますよ、となろうか。【ほととぎす・夏】

  眼に見えて散り眼に失せてちる桜
 (めにみえて ちりめにうせて ちるさくら) 

 落花の一番のピーク、つぎつぎに花びらが散っている。
 句意は、散っている桜を眼で追っている、また、追っている間にも桜は散っているが、桜が失せたかのように眼には見ませんでしたよ、となろうか。
 「見えて散り」「眼に失せてちる」と、2つの角度から落花を捉えている。2つ目の「眼に失せてちる」は、どういうことか暫く解らなかったが、花吹雪ならばあり得る、そう言えば体験したこともある、と思った。【桜・春】

 他にも、独自の感性とユニークな捉え方の作品が多かった。

 大久保橙青(おおくぼ・とうせい)は、明治36年(1903)-平成8年(1996)、熊本生まれ。東京帝国大学法学部卒。政治家。昭和4年より作句。東大俳句会で虚子に師事。ホトトギス同人。昭和62年、日本伝統俳句協会の設立に尽力。副会長を務めた。大久保白村は息子。