第三百九十一夜  有馬朗人の「酷寒」の句

 本日12月7日のニュースで、有馬朗人先生が亡くなられたことを知った。90歳であった。同じ山口青邨門下の深見けん二先生の「花鳥来」の会員の私は、やはり、有馬先生とお呼びする。
 平成7年、あらきみほ句集『ガレの壺』の刊行直後、ある結社のパーティへ参加した時のこと、立食パーティで会場は酷く混んでいた。何かの拍子に近づいた時、有馬先生は声を掛けてくださった。
 「あらきさん、貴方の句集読みましたよ。よかったよ。だけどねえ・・」
 と、話はそこで途切れた。他の人が割り込んできたからである。
 残念だったのは、お叱りかアドバイスか、折角なのに聞き逃したことであった。有名でもないのに、どうして話しかけられたのか、それは、皆が名札を付けていたこと、句集をお送りした直後であったこと、私の名が「あらきみほ」と平仮名で覚えやすかったこともあろう。
 一度だけであったが、懐かしく思い出された。

 今宵は、有馬朗人先生は2度目の「千夜千句」の登場となるが、蝸牛社刊『秀句三五〇選』シリーズで各選著者の先生方が選んでくださった中から、紹介させていただこう。

  二兎を追うふほかなし酷寒の水を飲み  『秀句三五〇選 水』
 (にとをおうほかなし こっかんの みずをのみ)

 この作品は、俳人としてだけではなく、物理学者であり、ある期間は政治家でもあった有馬朗人先生の姿がよく描かれていて有名である。
 句意は、どの道も険しく厳しい道だが、どの道も好きな道で、どれも自ら選んだ道である。ときには酷寒の水を飲まねばならぬこともあったが、突き進むほかなかった、といえようか。
 「二兎」は、俳人と物理学者であろう。
 俳句は、15歳の頃から父の有馬石丈に学び、母は有馬籌子、妻は有馬ひろこ、一家は皆俳人である。東大俳句会で山口青邨に師事し、「夏草」同人。青邨の没後に「天為」を創刊・主宰。
 物理学者としては、いろいろ賞を受賞しているが、ノーベル賞を受賞してこそ認められる世界であり、後に、政治や行政に携わったことは「人生の痛恨事」だったと述べていた。【酷寒・冬】

  遊牧の民の焚火の濃かりけり  『秀句三五〇選 地』
 (ゆうぼくの たみのたきびの こかりけり)

 この作品から真っ先に感じたことは、遊牧の民の住む大地は、地球を毒している空気の汚れがないから焚火の焔も、澄みきった空気の中で、本来の赤、それは深く濃い赤だったのであろう。
 朗人先生は、中近東を旅された時に、遊牧の民が焚いている火に当たらせてもらったという。【焚火・冬】

  影を売るごと走馬灯売る男  『秀句三五〇選 影』
 (かげをうるごと そうまとう うるおとこ)

 走馬灯は、お盆で灯すものだけかと思っていたが、もっと遊び心の走馬灯という灯籠、子どもがわくわくする人影や鳥や獣が走ってゆく走馬灯が、お盆の頃には出店に並ぶという。
 その走馬灯を売る男を「影を売るごと」と詠んでいる。子どもたちにとっては、まるで魔法使いが操って人や鳥や獣をつぎつぎに繰り出しているように思えたのだろう。
 この走馬灯は、もしかしたら外国で見たのかもしれない。【走馬灯・秋】

 知的好奇心に溢れているから、作品はすぐに理解できるというものではない。いつも興味津津、物理学者の目は鋭く把握は深い。私は、〈日向ぼこ大王よどきたまへ〉〈ジンギスカン走りし日より霾れり〉など大好きである。
 
 この度の突然の悲報に接し、心からのお悔やみ申し上げます。 あらきみほ