第三百九十九夜 深見けん二の「青邨忌」の句

 今日は、昭和63年12月15日に亡くなられた、山口青邨先生の忌日である。 
 私が、深見先生に師事したのは平成元年の4月、家から一番近い光が丘のカルチャーセンターからであった。半分は講義で半分は句会が行われる深見教室の前半は、高浜虚子や山口青邨をはじめ、活躍中の作家の作品を、半紙1枚に書いてくださった。ファイルにして今も奥深く仕舞ってあると思う。
 〈たんぽゝや長江濁るとこしなへ〉〈銀杏散るまつただ中に法科あり〉〈祖母山も傾山も夕立かな〉〈乱菊やわが学問のしづかなる〉など書き出せば切りのないほど多くを教えていただいた。
 
 今宵は、深見けん二先生の句集から「青邨忌」の作品を紹介してみよう。

  たぐひなき冬青空や青邨忌  『菫濃く』
 (たぐいなき ふゆあおぞらや せいそんき)

 句意は、何ものにも比べようもないほど見事な冬青空ですよ、今日は青邨忌、そして青邨には第6句集に『冬青空』がありますね、となろうか。

 『冬青空』の句集名と、青邨先生の亡くなられた時期がちょうど重なるので、青邨門下も孫弟子の私たちも、12月の句会では、吟行先でぱったり出会うと、挨拶代わりに「今日は、みごとな青邨晴れですね」と言ったり、句会では「冬青空」の作品が投句されていたりする。
 平成29年に亡くなられた元「屋根」主宰の斎藤夏風先生は、〈青邨忌冬の挨拶はじまりぬ〉と詠まれている。【青邨忌・冬】

  一刀を棺の上に冬の月  『花鳥来』
 (いっとうを ひつぎのうえに ふゆのつき)   

 第4句集『花鳥来』の刊行は平成3年のことで、この作品を知ったのは句集が出てから。話題になって、亡くなられた当時のことをお話してくださった。
 斎場では納棺のあと、棺の上に一振りの見事な刀が置かれ、それは青邨先生にまことにふさわしかったなど、目に浮かぶようであった。
 12月28日には、「夏草葬」が青山葬儀場で行われ、葬儀委員長は古舘曹人さん。俳壇あげての葬儀となり、粛々と行われたという。
 その折のけん二俳句に、〈年の瀬の大き葬のなかにあり〉がある。【冬の月・冬】

  師の墓のうしろの石に涼みけり  『余光』
 (しのはかの うしろのいしに すずみけり)   

 この句は平成9年の作。この時の、北上の日本現代詩歌文学館雑草園祭参加を兼ねた「花鳥来」吟行会に私も参加していた。翌日、盛岡の青邨先生のお墓に皆でお詣りした。高い杉木立は鬱蒼としていたが、ここまで歩いて登ってきたからだろう、気持ちよいほどの涼しさであった。
 句意は、懐かしい師のお墓に「花鳥来」の仲間と一緒にお詣りできたことでほっとし、墓のうしろに回って、石に腰かけて涼みましたよ、となろうか。
 
 「夏草」の会員であった方たちは、この吟行は、青邨先生に久しぶりにお会いできた気持ちであったようだ。移築された山口青邨の「雑草園」の書斎の籐椅子に腰かけて俳句を詠んでいた。
 私は、〈青邨も又三郎も青あらし〉と詠んだ。その日、詩歌文学館で行われた句会で、珍しく高点句であったことが懐かしい。【涼し・夏】