第四百夜 池内友次郎の「狐」の句

 冬の動物といえば、キツネ、タヌキ、オオカミ、などが浮かぶ。私は大分県の生まれで、4歳からは東京で育った。一人っ子の私は、狐が化ける話とか、人間にいろいろな悪さをするといった話は、親から聞くことはなかった。
 そうした話は、小学生になって、地域に回ってくるおじさんの紙芝居で知ったような気がする。怖い話には「つづき」があって、毎日のように紙芝居は決まった場所にやってくる。紙芝居にお金を払うことはないが、その代わり、綿菓子とか練り物とか買うことが決まりだった。友だちは、親からお小遣いをもらってくるが、私は、幼いころは病気がちだったからか、買い食いは禁止だった。とお巻きにいる私を見かけると紙芝居のおじさんは、「見ていきな」と、声をかけてくれることがあった。
 紙芝居の代わりに、父は、よく童話の本を買ってくれた。恩返しをする『ごんぎつね』もあった。
 
 今宵は、「狐」の作品のいくつかを紹介してみよう。

  雪止んで狐は青い空が好き  池内友次郎  『池内友次郎全句集』 
 (ゆきやんで きつねはあおい そらがすき)

 池内友次郎(いけのうち・ともじろう)は、高浜虚子の次男で音楽家。苗字が異なるのは、虚子の父方の名を継いだからだという。友次郎は長いことフランスに音楽留学していて、その間も俳句をホトトギスに投句していたから、海外詠の嚆矢と言われる。
 この作品も、山から現れる日本の狐とはどこか違って、平野の続くパリ郊外の森に住む狐の雰囲気が漂っているようだ。
 句意は、雪が止んだ森から出て、狐の親子が野原の広々とした雪景色の中をうれしそうに飛び回っている、そんな光景が浮かんでくるが、どうだろうか。【狐・冬】

  襟巻の狐の顔は別に在り  高浜虚子 『五百句』  
 (えりまきの きつねのかおは べつにあり)

 こちらは父の高浜虚子。昭和8年、句会「七宝会」での作。当日の兼題は「襟巻」であったと思う。日比谷公園で吟行してからの句会なので、狐の襟巻をしたご婦人をすれ違ったかもしれない。
 「狐の顔は別に在り」が、うまく想像できなかった。最近は、狐の襟巻は見かけないが、戦前や戦後の暫くは、着飾った女性は、立派な狐の襟巻をしていた。確か、狐の顔も尻尾もぶらさがっていた。
 
 今回、「顔は別にあり」は、そのご婦人の顔ではないか、キッとした面差しと狐の面差しが浮かんできたら、愉しくなった。【襟巻・冬】

  母と子のトランプ狐啼く夜なり  橋本多佳子  『信濃』 
 (ははとこの とらんぷ きつねなくよなり)

 橋本多佳子は明治32年の生まれ。小倉でも大阪でも豪邸に住んでいらしたから、庭に狐が出没したりするのだろう。多佳子が小さな娘と、食後にトランプ遊びをしていると、狐が「コーン」と啼いたというのだ。
 トランプのババ抜き遊びは、心理的要素が加わって、相手の手の内を読んだりするから、案外、よいタイミングで狐が啼いてくれたかもしれない。【狐・冬】

  祝ぎ事の夜更に狐啼きにけり  山本洋子  『稲の花』
 (ほぎごとの よふけにきつね なきにけり)

 句意は、家で祝言を挙げた、その夜更に外で狐の啼声がしてきましたよ、となろうか。
 この作品の狐は、少々怖そうだ。というのは、狐はよく女人に化けて男性を惑わせるという昔話があるからだ。
 今宵の婿殿は、かつて女人に化けた狐と関係があったのだろう。それを忘れたかのように人間の女性と結婚し初夜を迎えたのだ。恨みに思った狐が、夜更けにやってきて啼いているという。【狐・冬】

 『日本霊異記』には、女に化けた狐は、男の家に入り子まで拵えたが、犬に気づかれて吠えられ通しとなり、ついに野に去ったという。こうした説話がいくつもある。