第四百一夜 三橋敏雄の「狼」の句

 狼は、日本ではすでに絶滅した猛獣である。耳が立ち牙がある狼と犬が似ているのは犬の先祖が狼であったからである。人間が狼を生け捕りにして飼いならすことができると、人間は狼を犬と呼んだ。狼が山犬と言われる所以である。
 狼に出合うのは、動物園か、山奥で猟をする人、高山植物を採集する人や山菜採りの人が襲われたニュースの中くらいである。

 今日は、図書館で『赤ずきん』などのオオカミの絵本をたくさん借りてきた。
 絵本や童話の主人公のオオカミたちは、悪者で孤独でドジであることが多い。本当は心優しいオオカミも、優しさは見せず、不良少年と言われる人間の男の子と同じようにツッパって生きているところが憎めない愛嬌である。
 
 また、インドで狼に育てられた少年の話や少女の話の記録を読んだことがあった。何らかの理由で山の中ではぐれた赤ん坊を見つけた狼が、自らの仔を育てるように、面倒を見たことに感動した。狼は無防備な人間をいきなり襲ったり食べたりしないことを知った。どの生き物にも心はあるのだろう。

 わが家の、大型犬のラブラドールレトリバーも、基本は甘ったれで食いしん坊だが、杖の私が階段を降りるときなど、歩を合わせて降りる気遣いを見せてくれる。

 今宵は、現代では滅多に出合うことのない狼(オオカミ)の作品を見てみよう。

  絶滅のかの狼を連れ歩く  三橋敏雄 『現代俳句歳時記』
 (ぜつめつの かのおおかみを つれあるく)

 「絶滅のかの狼」とは、日本では絶滅したという〈あの狼〉のことですよ。
 「連れ歩く」とは、私は、いつも一緒に何処へでも連れて行くのですよ。
 と、句意としてはこのようであろう。
 〈連れ歩く〉は、本物の狼を連れ歩く訳ではない。おそらく、三橋敏雄氏の生き方として、狼的なものを常に心に置いている、ということだろう。
 〈一匹狼〉という言葉があるが、俳句においても三橋敏雄は、独自のものを追求する匹狼、群に属さない、批判精神を抱きながらの作品に取り組んできたように見受ける。

  天に天狼日本狼死に絶えし  島 世衣子 『新歳時記』平井照敏編
 (てんにてんろう にほんおおかみ しにたえし)

 「天狼」は、中国名の天狼星で、大犬座のシリウス。山口誓子の主宰誌も「天狼」。
 句意は、今も一等星の天狼ことシリウスは冬の夜空に輝いているが、日本狼はすでに絶滅種となっているのですね、となろうか。
 天狼星ことシリウスは、地球から8・6光年、たとえば今夜見るシリウスは、8600年前の光が地球に届いたその光を見ている、ということだという。さらに、星の起源と狼の起源は比べようもない。【狼・冬】
 
  狼や剣のごとき月の弦  細木芒角星 『新歳時記』平井照敏編
 (おおかみや つるぎのごとき つきのつる)

 細木芒角星(ほそき・ぼうかくせい)は、明治30年、島根県の生まれ。吉田冬葉の俳誌「獺祭」を継いだ。
 句意は、狼に出くわしたとき、細月が出ていたが、その月の弦が剣のように鋭くて、狼という猛獣の俊敏さと恐ろしさを感じましたよ、となろうか。【狼・冬】

 紹介した例句には、神の使いとしての狐や狼の作品はなかったが、入口に、狐の石像が祀られている神社や狼の石像が祀られている神社がある。