第四百二夜 田中芥子の「雪崩」の句

 田中芥子は、俳人であり版画家である。俳号「芥子」は、芥子(けし)の花だが、昭和17年に高浜虚子に入門すると虚子から「かいし}と呼ばれ、以降「たなかかいし」となったという。
 版画作品は、「俳画まんだら」の中で拝見したことがあるが、ダリやキリコ、エルンストなどのようなシュールな画風であったと記憶している。
 
 今宵は、田中芥子の俳句を、自註現代俳句シリーズ『田中芥子集』から紹介させていただく。

  雪崩です沈みゆく白い軍艦です
 (なだれです しずみゆく しろいぐんかんです)  

 句意は、雪崩がおきましたよ、ああ、白い軍艦が、海底へ沈んでゆきますよ、となろうか。
 俳句もシュールであった。大きな雪崩に出遭った芥子さんは、実際には、雪崩が高所から流れ落ちる一部始終を見ていた。だが一瞬、まるで大きな白い軍艦がずんずん海底に沈んでゆくような錯覚を覚えたのだ。
 大正12年生まれの芥子さんは、第二次世界大戦を体験していたかもしれない。軍艦に乗っていたかもしれない。その時の記憶が、雪崩によって引き起こされて、幻想的な「白い軍艦」となったのであろう。【雪崩・冬】

  凍蝶の第一発見者艦長なり
 (いてちょうの だいいちはっけんしゃ かんちょうなり)  

 軍艦の「艦長」のように思われる。地上とは違って常に戦闘態勢ではなく、海上をゆく長い月日がある。ある日、艦長は凍蝶を発見した。艦長が第一発見者だという。
 「凍蝶」は、寒さのために凍てついたようになっている蝶のことで、ほとんど動かない。蝶は、どこから来て凍蝶になったのか動かずにいるのか、不思議だ。
 どこからともなく現れた「凍蝶」が隠喩するものは「死」と考えられるかもしれない。戦争の行方を一番に案じている艦長が凍蝶の第一発見者ということは、日本の敗北を予感していたとも言えるから。【凍蝶・冬】
 
 昭和17年、田中芥子の俳句は、ホトトギスで高浜虚子に師事することから始まった。この頃は、第二次世界大戦に突入しており、俳句界の若い作家は新興俳句運動の最中であった。
 無季派の作家たちは、「戦争」を季語と同じように用いたり詩的インパクトの強い言葉を詠み込んだりした。彼らが目指したのは新詩精神(エスプリ・ヌーボー)であったという。

  石鹸玉るると生まるるるるるると
 (しゃぼんだま るるとうまるる るるるると)  

 吹いたときつぎつぎに湧いてくる「石鹸玉」を、「る」の音で表現した。17文字の8文字を「る」で表記した。
 だが、「る」の音の響きも、「る」の平仮名のまるまった文字の形も、なんという優しさに満ちているのだろう。
 これこそが、芥子さんの石鹸玉の世界だ。【石鹸玉・春】

 田中芥子(たなか・かいし)は、大正12年(1923)-平成20年(2008)、長野県須坂市生まれ。俳人、版画家。昭和17年、高浜虚子に入門。昭和19年、山口青邨に入門。平成2年、日本美術家連盟会員となる。平成3年、「版画まんだら」を「俳句文学館」に一年連載。著書に、句集「花の将」、句集「奈智子」、自註現代俳句シリーズ『田中芥子集』、『版画まんだら』須坂新聞社。